82.ロボットって本当にあんなに人間見たいな事が可能?    目 次

という疑問を、テレビの報道番組を見ていて持った人も多いだろう。

結論から言えば、あれは「やらせ」であんな人間みたいな話し方はできない。テレビ局がやらせているんじゃないけどね。

とは言え、数年前、ホンダがアシモを二足歩行させた時には、感慨深いものがあった。あれは凄い技術なのだ。Sonyのアイボはやりゃできるだろ、と思っていたが、アシモはそうはいかない。今、ロボットを走らせようと言う研究が次の段階であるのだが、これが、「走った」と報道されたものは、歩いた方が速いんじゃないかと、コンピュータ・サイエンスの専門家の間では言われている。しかし、そうは言え、これまた「走る」ということは大変なことなのだ。何しろ、両足のどちらも地面に付いていない一瞬が生まれる。その一瞬は、ロボットにとっては、自分がどうなっているのか分からないのだから、実は、ちょっと傾いていて、どちらかの足が着地した時に、うまく補正ができないとそのまま倒れてしまう。

もう、少しは御分かりになっただろう。ロボットが二足歩行するということは、あなたが目をつぶり、耳も完全にふさぎ、膚から受ける風も感じることなく、ただ足と地面との感覚だけで歩いていると言う事なのだ。まあ、もうちょい、工夫はあるが、原則としてね。彼らに五感はないからね。ほら、目をつぶって片足を上げて立ってごらん、1秒で倒れる人もいて、実年齢21歳なのに、体力年齢75歳とか出てしまって、ショックを受けた人だっているんじゃない?あれと似たような状況でロボットは歩かなきゃならないんだよ。だから、二足歩行するアシモを見た時、居候は仰天した。アイボは4本足だったからね。置物の象だって立っていられる。

そんなことはない、彼らはCCDの目を持っているし、音声会話もする。音声認識だってしてるから、人間のようにしゃべっるんだと思った人は、素人にしては相当詳しい人だ。問題は、CCDというテレビカメラというか、デジカメの目の部品だが、それで外部環境の映像をロボット内のメモリーに取り込むことはできるのだが、「見た」ことにはならないことなのだ。

「見る」ということは、「知的」作業だから、その為の人工知能ソフトが入っていないと、見る事はできない。デジカメの写真は、三原色の色の粒の集まりでできている。その色の粒の集まりを、これはバナナ、ここは道路、これは人間、って言うふうに画面から切り出してまとめ上げるという機能はひょっとして、我々人類には実現できないんじゃないかと思われるくらい難しい論理なのだ。

試しに、デジカメで撮った写真から、たとえば、何かを抜き出したいと思っても抜き出せないでしょ。銀座で撮った写真から自分の姿だけ切り出して背景を別の物にしたいなんて、すごい需要がある。いかなる画像処理ソフトでもこの機能は付いていない。なぜか?できないからなのだよ。特撮では、仕方がないからクロマキーという技術を使う。何色でもいいが普通は青を使う。青一色の部屋の中でスターがアクションする。そうすると、背景は青だということは分かっているから、撮った写真から青で無いところを抜き出せばスターだけが抜き出せると言う寸法だ。この抜き出した背景無しのスターを別の写真の上に普通の画像処理で置けばいい。但し、そのスターが青いシャツを来ていると上半身だけ透明人間になる。青いズボンを履けば、顔だけ抜き出せる。部分透明人間を作るのも簡単だ。

こんな面倒なことをしないと背景から物を抜き出せないんだ。人間は、なぜか、色の集まりを何物か物体だと認識する能力があるが、それを行う論理、あるいは方法と言ってもいいが、それが分からないんだ。音でも同じことが言える。いろいろな雑音の中から、例えば渋谷駅前の雑踏の中であなたが歌を歌ったとしよう。それを録音してコンピュータにあなたの歌だけを抜き出せと言ってもできない。人間にはできているね。雑踏の中であなたの歌う歌が完全に分かる。でも、コンピュータにはできない。これができたら50年前のシャーという雑音の入ったレコード(昔のCDみたいのものだ)から雑音だけを除去し、綺麗なフルトベングラーが聴けるのだが、それはかなわぬ夢だ(音は実は、多少はできる技術がある。だが、クラシックなどにはとても適用できない。芸術の品質を保つほどの完成度はないのだ。雑音を抜いたら、副作用でバイオリンの音がおかしくなるというようなことがおきるからね)。人工知能の中でも認識ということは、最高に難しい技術なのだよ。郵便番号のような数字−−たったの10字−−を認識するのがやっとなのだ。

さて、そういうことで、我々の目はデジカメがとったポートレートや風景写真に奥行きを感じるが、これだった、考えてもごらん、たんなる平面の紙か、液晶上に色のツブツブがあるだけだよ。なのに、なんでそれを小倉優子だとか、エッフェル塔だって、人間は思うのだろう。色のツブツブの集まりを見ているだけで、可愛い〜い、とか綺麗とか感じるのだから、おめでたいものだ。というか、凄い能力だ。それが、なぜ、どうやったらできるのかコンピュータサイエンスの研究者たちは、もうお手上げ状態なのだ。そんなことするより、冥王星に行く方が簡単な事は請け合ってもいい。

音声認識も同じ事だが、一般画像認識よりは、多少はできる感じがする。それは、音声って、限られているからだ。日本語なら五十音だけでいい。ま、実際には五十しか音がないわけではない。濁音や、半濁音はどうしてくれるんだということになるが、それにしたって、百音程度でいい。更に音声から作られる単語は、一般の辞書なら10万語程度。何でかんでもいれたって、1億語にはならない。1億なんて、コンピュータにはなんでもない。1億語の辞書を作ればそれだけのことだ。

問題は、百音と言ったが、それは仮名に書き下ろした時のことで、居候の発音する「あいうえお」と、あなたの発音する「あいうえお」はかなり違う事だ。女子高生の声と、80歳の男性の声が同じものには思えないのに、人間は、それらを認識して「あいうえお」と同じ文字にしてしまう。これが、不思議なのだ。音は、実はコンピュータにとっては、百音どころではないのだ。人口の数だけある。将来、生まれてくる人間も考えれば事実上、無限にある。

まあ、それでも、音声は、なんとか、いわゆる五十音に分類できるので、この分類の仕方さえ考えてやれば済む。60%程度に認識率はなんとかできるだろう。特定話者認識と言って、あなたの声にチューニングすれば、90%も夢ではない。

それに引き換え、画像には、五十音みたいなものはない。何がくるかあらかじめ予測できないのだ。無限のデータが入ってくるといって良い。だから、画像認識は今は、全然できていない。できているように見えるような表現をする研究者や、テレビの解説者がいたら、彼らは「やらせ」をしているのだ。こういう時には、それができる「条件」というものを巧みに隠蔽している。実は居候は、どこかのインチキ宗教の教祖じゃないが、「宙に浮く事ができる」。嘘じゃない。あなたにも伝授しよう。立って、飛び上がってごらん、0.1秒くらいは浮いていられるでしょ。簡単なものだ。そこをデジカメで撮ったら立派な空中浮遊なのだが、なぜか、この写真を見て、1時間も浮いていると勝手に信じてしまう人が山のように居る。マジックが商売になるわけだ。

大方の一般人は、そういう論理の盲点に疎いので、アホなメディアにころっとだまされて、ミスター・マリックの超魔術とかが不思議に思われる。まあ、マリックさんも、昔、やり過ぎて干されたので、今はまじめにマジックだと言ってお茶の間を楽しませてくれているけどね。

で、話がそれたが、物を見るということは、物凄く難しいことなのだ。繰り返すが冥王星に行く方が優しい。アンドロメダに行くくらいに難しい。かたや、宇宙の彼方に出て行く技術。相対論的制約で困難だが、かたや人間の頭脳に迫る技術、人間の認識論的能力の制約により困難だ。

さて、テレビで見ていると、ロボットが人間のように話している。あれは、まあ、言って見れば、「テープに録音したものを再生してい」るようなものなのだ。

まさか、カセットテープじゃないよ。音は、フラッシュメモリーか、ハードディスクに録音して入れてあるだろうし、音声はアナログじゃなく、ディジタルだけどね。本質は、そういうこと。人工知能などは使っていない。人工無脳で実現しているのだ。だから、どんな状況に対しても適切に対応した会話などはできない。あらかじめ決められているシナリオに沿って会話のような感じのことをしているだけなのだよ。速い話、インチキ。と言っても、主催者側は、ロボットが人間の知性を持って話しますとは、一言も言っていない。あれを見て凄いと感じたとしたら、その人の勝手な思い込みに過ぎない。が、そういう勝手な思い込みを主催者は期待しているのだけどね。

それでも、ロボット技術は、なんとか、「鉄人28号」には迫ってきた。10年と数百億円もかけて開発すれば、かなりできるだろうね。 だが、鉄腕アトムやエイトマンは、まだまだ無理、というより、コンピュータ・サイエンティストは、そんなことは無理と諦めている。現在のコンピュータの限界なのじゃない。我々、人間の認識能力の限界なんだろうね。だって、どうやっていいんか、全然わからないんだよ。





83.筍、竹の子のあく抜きって、無理?   2004.5 目 次

NHKの「ためしてガッテン」を見ていて、疑問がとれたのだが、やはり、筍のあくって抜けないんだ。ただ、多少、あくにマスクを掛けて、舌に感じなくすることはできるのだそうだ。

あんなに堅く太いものの中にまで米ぬかのあく抜き成分が浸透していくとはおもえなかったのだが、やはりそうであった。

となると、対応は一つしかない。まず、湯を沸かしておいて、それからおもむろに裏山の竹林に入り、先端が土から顔を出していない竹の子をトリュフよろしく掘り起こして来て、時間をおかず茹でる。 それしかうまいタケノコを食べる手はないみたいだ。

先端のミドリのところが光りに触れたとたん、あくが大量にでき始める。掘り上げた瞬間からあくが生成されはじめる。そして、そのあくは抜けない。となると、我々都会に住む人間にはあくのない筍など食べる方法はほとんど無いということのようだ。水煮はどうなんだろう。

どちらにしろ、スーパや八百屋においてある筍は、あくがあるということになる。

それから節のところにある白い粉のようなものはアミノ酸=旨味成分なのだそうだ。取らない方が美味しい。





84.本当に役に立つ英和・和英辞書   2004.5 目 次

大きな出版社の英和辞書は、まだ良いが、和英辞書で役に立つ物はほとんどない。中学生の英作文くらいはできてもビジネスマンが使えるような代物ではない。そんな時は、ここが素晴らしい。例題があきれるほどに豊富だから、自分の欲しい物が見つかる。居候は、原書を読みながら、気の利いた表現はノートに取っているが、そんな必要もないくらいだ。

スペースアルク

おまけ。アメリカの都市、地理情報

アメリカ大陸30000Km





85.簡易消火器の廃棄法 スプレー式 エアゾール式 破棄  2004.5 目 次

家庭での期限切れの消火器の扱いって、困るものだ。ビルや電車に置いてあるような本格的なものは、買った業者に有料で引き取ってもらうより仕方ない。あれは、物によっては暴発するから古くなって容器が腐食していると、実に危ない。レバーを引く前は何事も起きないが、引いた途端爆発する構造の物もある。それで、死んだ人もいるくらいだ。爆弾のようなものだ。

ところで、簡易消火器というものもある。レバーなんてついていない。普通のヘアースプレー、シェービングフォーム、クレ5-56みたいななんでもないスプレー式だ。エアゾール式とも言う。

これは、簡単だ。要するに使えばいい。大した量もでないから、庭の片隅ででも、スーパの大き目のビニール袋の中に向けてシューと出せばそれで終わりだ。この手の消火器は、あくまで補助的なものでこれで鎮火などあまり期待できないので、逆に言えば、10秒〜20秒くらいで中身が出切ってしまう。もうもうと粉を噴くような物では、実際の消化の時、使用者がびっくりしてしまうから、その種の驚くようなことは起きないのが普通である。中身は、いろいろあるらしいが、液体、粉、気体だろう。というか、これ以外が小さな穴から出てこれるとは考えられないから、当然だ。それに、有毒な物も無いと思っていい。そんな危ないものを噴射できないからだ。悪徳業者でなければ、まず大丈夫だ。

居候の場合、すっかり忘れていた粉式の15年も前のものだった。噴出口の首の回りに粉を噴いていたのでこうして廃棄した。細い一条の液体に浸透されているような粉がゆっくり1mくらいは飛ぶ程度の勢いで噴出されてあっという間に終わった。ヘアスプレーやクレ5-56のようにだらしなく広がらない。綺麗に一条の線を描いて飛ぶから回りも汚さない。勢いもそんなに強くない。空き缶には、穴を開けた。普通のスプレー缶は、フロンが入っていたころ、穴を開けて出すと、地球のオゾン層を壊すからいけないという意見と、開けておかないと回収業者が爆発させる可能性があるから開けるべきだという意見があって、迷ったものだが、居候は開けて出していた。この缶も開けて出そう。







86.省電力のナツメ球を常夜灯にして地球に優しく LED  2004.6 目 次

LEDの進歩には目を見張る物がある。青は難しいと言われて久しいが、すでに相当前に実現された。LEDなどよりはるかにエネルギーが高いレーザも日亜化学の中村氏が成功してもう何年たつか。大企業や有名大学の研究者たちが(見掛け上)一所懸命やっていたのに全然できなかったものを、地方国大出身の中堅企業の研究者が鮮やかにやってみせ、この世界をあっといわせたものだ。

研究というものは、センスと根性の問題で、机上の勉強と予備校の試験戦略で学歴だけ高くしてもなんの意味も無いことを実証したような事件だったが、やんぬるかな、そこが成り上がりの日亜化学、中村氏の価値に気付かず、適切な処遇をしなかったので逃げられてしまった。まあ、島津製作所も似た様なものだがね。

それはそうと、お陰で白色LEDが安く手に入る様になった。青が出ないことには三原色がそろわないので白色がでななかったのだ。

ELPAから、白色の(青、赤、黄、橙もある)ナツメ球が売り出されている(なぜかこのHPには見当たらない^^;)。蛍光灯を消した時に付く常夜灯だ。これが、以下のスペックを持つ優れ物だ。

 ・消費電力  0.5W
 ・寿命   10万時間
 ・価格   300円程度
 ・ソケット径 E12とE17

普通のナツメ球は消費電力7Wもある。これ、0.07Aという微小電流なのだが、電圧が100Vもあるので、結局、7Wという大きな電力を食うことになる。0.5Wというのは驚くべき省電力なのだ。日に24時間、年365日点けっぱなしにして、電気代は年間120円。暗くなると自動点燈し、明るくなると消える常夜灯が、100円ショップや、なぜか秋葉原で700円で売っているが、これ、暗くなるのを見張っているだけにも、2、3W食っているのだから、あまり意味がない。こういうものは非点燈時(待機時)消費電力を良く見ておかないと何をしているかわからなくなる。最近のものは0.4Wというものもある(2004.6)。

1年は8760時間だ。面倒なので、1万時間にしても、寿命10万時間ということは、10年は点けっ放しで持つということだ。ナツメ球など点けっ放しにするとあっというまに切れる。

ソケットのE12というのはねじ込むあの径が12mmということ。これは普通のナツメ球と同じだ。ちょっと太めのE17も用意されている。残念なことに、普通の100Wの電球のようなE26のものはない。だが、同じELPAからE26→E17の口金変換アダプタというものが180円位で出ているので、普通の口にこれでつけることもできる。

首都圏なら、ホームセンターの島忠にいけば両方ある。他の結構大きなホームセンター、例えばユニディにはなかったので、まだ普及してはいないらしい。

E12径の変換ソケットが見つからない時は、100円ショップに行って、ナツメ球を使う足下燈(コンセントに直に差して使うもの)を買ってきて、中のナツメ球(ローソク球)を取り替えれば良い。

この写真の物はコンセントと電球を差すソケットの間にスイッチが入っているだけの極めて単純なものなので、使うのにいかなる制約もない。よく、逆さにしたり、横にしたりしてはいけないと書いた物があるが、これはOKだ。フードもスライドして簡単に外せる。非常に使いやすい。

ただ、LEDをねじ込んでも点燈しないことがある。これは、LEDのねじ込み部分が微妙に短い(というより、電球の構造が悪い)ので、電球とソケットの底の接点が接触していないことが原因だ。ソケットをコンセントから取り外し、そして電球を取り外し、その底に見えている銅色の接点の自由端(片方は、100Vを供給するために固定されているが、片方は浮いている。その浮いている方)を楊子かピンセットで3,4mm持ち上げてやれば良い。45度くらい浮くが構わない。

暗くなると自動的に点燈し、明るくなると自動的に消灯するタイプのものは使えない。LEDの説明書に書いてあるが、センサー部分の回路が邪魔するらしく点燈しないのだ。そもそも、このセンサーは安物で2、3W使うだろうから、LEDより消費電力が大きいので、何の意味もない。LEDを点けっ放しにしていた方が地球に優しい。





87.冷蔵庫の異臭を取る   2004.6 目 次

夏になると冷蔵庫の中の臭いが一層気になる。臭うということは、何かが腐敗しているか、発酵しているのだから、山のように売られている冷蔵庫用消臭剤を入れても(食中毒の原因菌がいるかもしれないので)危険なだけ。臭いは元から断たなきゃだめなのである。つまり、殺菌。

消臭剤は、基本的には中身は「炭」。これにいろいろ細工をして活性炭と呼ぶ物にしてある。炭は、木をなどを蒸し焼きにして作る。木の中のいろいろな成分が抜けた分、細かな穴が無数に空いている。臭いの粒子をこの穴で捕捉しようというわけだ。

だから、穴が満杯になれば効き目がなくなるし。そんな穴の中に臭いの粒子が入っていくには非常に時間がかかる。ファンで強制的に炭の中に送り込んで吸着させているわけではないからね。一体、あれ、本当はどの位効いているのかかなり怪しいと思う。

それに、こういう消臭剤は、本来上に書いた様な腐敗臭をとる目的のものではない。食品そのものの臭いが混ざり合って臭いという用途様だ。ニンニクが臭いとかね。ワサビが入っていて、抗菌効果があると書いてある物も、よく注意書きを読んでみよう。殺菌でも、滅菌でもない、抗菌にすぎない。黴菌に抵抗するが、結局、負けるんだね。

で、腐敗臭がしているということは、腐敗したものがあるということだ。まあ、もろに肉や卵が腐っていた、なんてのは問題外。何も腐っているものが無い様に見えても、腐敗臭はでる。野菜や果物には、なにしろ、黴などの微生物がしこたま付いている。嘘だと思うなら、ブドウを買ってきて、すりこぎでつぶしてそのまま2、3日置いておけば分かる。ワインができている(これ、ドブロクと同じく違法だけど)。つまりは、ブドウの表面に酵母が一杯付いていて、これで発酵したわけだ。発酵と腐敗は同じものだ。人間に取ってよいものを発酵、悪い物を腐敗と呼んでいる。

というわけで、腐敗臭がしたら、冷蔵庫、冷凍庫の中身を全部取り出し、内部を綺麗に洗う。隅、穴、窪みを念入りに。終わったら、そこに消毒用アルコールを吹き付けて殺菌しておく。

さて、ここまではどこにでも書いてある。問題はアルコールだ。

・キッチン用アルコール除菌スプレー

どこのスーパにも置いてある。400mlで、300(特価)〜600円(定価)位かな。手動スプレーの物は比較的安い。ヘアスプレーみたいにガスでスプレーするものは、指が疲れない分、倍位高い。100歳の老人ででもなければ不要だ。気を付けないといけないのは、全く同じ容器に入った、そして効能書きも似た様なものがある。除菌用ハイターとか、除菌・漂白泡ジェルとかね。こういうのは、塩素が入っているから、この目的には決して使えない。食品に付いたりすると厄介なことになる。塩素は猛毒だよ。必ず、「食品に付いても安全です」と書いてあることを確認すること。内容物の主成分は発酵アルコール(つまり、エチルアルコール)と書いてあるものだ(合成エチルアルコールでも良いのだけど)

・消毒用アルコール(エチルアルコール、エタノール)

 これは、エタノールの80%水溶液だ。キッチン用アルコールが余りに高いので、薬局でこれを買って使おうと思ったら、なんと、こちらの方が高い!!500mlで700円〜1000円もする。原価10円か20円じゃないかいといいたい。ブラジル辺りで買えばだけどね。薬、九層倍とは良く言った物だ。米国に比べたら、日本の製薬会社の作っているものは物凄く高い。

なお、エチルアルコールとエタノールは同じ物の異なる呼び方。この80%というのは、酒税が掛かる範囲に入る。

ここ参照;  (因みにエチルアルコール1度以上90度未満のものは酒税法の適用をうけます。)

・無水エチルアルコール、エチルアルコール
 無水アルコール;99.5度以上
 含水アルコール;95度以上(当然、99.5未満だろう)

 これが、酒税が掛かっているのかいないのか条件がいろいろあるらしくよくわからないが、掛かっていなくても良いのに、価格は消毒用アルコールと対して変わらない。

そんなわけで、一般的に簡単に使えるものは結局、台所用除菌スプレーということになる。

が、それでは、生活の知恵にならない。

・イソプロピールアルコール(イソプロパノール)

これは、エチルアルコールの1/3くらいの価格だ。病院で注射の時に腕を消毒するのは、エタノールか、このイソプロパノールだ。これを手動スプレー容器にいれて吹き付けるか、布に付けて拭くかする。薬局においてある。ちょっと、特異が臭いがあることは注意。アルコールだから飛んでしまうからいいか。

問題は、毒性。
楽観的に言えば、エタノールと同じ程度に気を付けていればいい。ただ、エタノールよりは多少毒性が強い。
・濃厚な蒸気を吸い込まない。
・肌に付いたら、脱脂作用があるので荒れる(注射の時、消毒で腕に塗るんだから、そんな程度の使い方なら問題ないということだ)。

この辺りをちょっと比較しやすいようにまとめておく。同じことが書いてあることがわかる。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~kaneichi/ より編集・引用。
日本薬局方 イソプロパノール70vol%
【禁忌】(次の部位には使用しないこと。)
 損傷皮膚及び粘膜(刺激作用を有するので)

【性状】本品は無色澄明の液で、特異なにおいがあり、揮発性である。

【使用上の注意】
 1.重要な基本的注意
  本剤は血清、膿汁等のたん白質を凝固させ、内部にまで浸透しないことがあるので、これらが付着している医療器具等に用いる場合には、十分に洗い落としてから使用すること。

 2.副作用
  次の様な場合には使用を中止すること。
  ○過敏症  ・発疹等(頻度不明)
  ○皮 膚  ・刺激症状(頻度不明)

 4.適用上の注意
  投与経路:外用にのみ使用すること。
(1) 本剤の使用中に誤って眼に入らないよう注意すること。眼に入った場合には、直ちに水でよく洗い流すこと。
(2)広範囲又は長期間使用する場合には、蒸気の吸入に注意すること。
(3)同一部位に反復使用した場合には、脱脂等による皮膚あれを起こすことがあるので注意すること。

 価格; 500mL 273円

http://www2u.biglobe.ne.jp/~kaneichi/item/a-2.html より部分引用
日本薬局方 消毒用エタノール 76.9〜81.4 vol%
【禁忌】(次の部位には使用しないこと。)
 損傷皮膚及び粘膜(刺激作用を有するので)

【性状】 本品は無色澄明の液で、特異なにおい及びやくような味がある

【使用上の注意】
 1.重要な基本的注意
  本剤は血清、膿汁等のたん白質を凝固させ、内部にまで浸透しないことがあるので、これらが付着している医療器具等に用いる場合には、十分に洗い落としてから使用すること。注射針、注射筒の洗浄消毒にも常用されるが、細菌の芽胞に対する効力はない。

 2.副作用
  次の様な場合には使用を中止すること。
  ○過敏症  ・発疹等(頻度不明)
  ○皮 膚  ・刺激症状(頻度不明)

 3.適用上の注意
 (1)原液又は濃厚液は刺激作用があるので経口投与しないこと。
 (2)本剤の使用中に誤って眼に入らないよう注意すること。眼に入った場合は、直ちに水でよく洗い流すこと。
 (3)広範囲又は長期間使用する場合には、蒸気の吸入に注意すること。
 (4)同一部位に反復使用した場合には、脱脂等による皮膚あれを起こすことがあるので注意すること。

  価格; 500mL 698円

http://www2u.biglobe.ne.jp/~kaneichi/item/a-3.html より部分引用


事後談;
フマキラー キッチン用アルコール除菌スプレー [400ml]、通常価格600円が近所の薬局で半値の299円で出ていたので速攻でget。これ、「広告の品」なので、隣に並んでいる付け替え用(噴霧器がついていない)の方が350円と高いという変な現象が起きていた。早速、3本ほど買い込んだ。

キッチン用は、「発酵アルコール」要するに、飲用可能なアルコールを使っているので、酒替りに飲む不届きな奴が出てくるのを防ぐ為、飲めたものじゃない強い香りを付けてある。グレープフルーツ抽出剤とか、何とかだ。飲めてしまうと、酒税が掛かって高いことになるからね。料理酒に塩が入れてあるのもこの伝だ。





88.設定不要の簡単IP電話=YahooBB! BBフォン   2004.7 目 次

IP電話の事は、ここでも何度か書いてきたが、NetWorld+Interopに行ってもらってきたNetworkMagazineという雑誌を見てびっくりした。そこには、なんと、特集で「いよいよ始めるIP電話」という間が抜けたタイトルが出ていたからだ。

居候宅は親戚共々、YahooBB!に加入しサービスで付いてくるIP電話を使っているので、今まで、ん万円取られていたNTT固定電話代が数百円になってしまっている。いまさら「いよいよ始める」はないんじゃないかい。

で、この記事を読んでいて、更に腰を抜かすほどビックリしたのは、「IP電話を家に付けるにはパソコンからの設定がいる」、「ここでつまずく人が居る」という下りだ。「256倍」風に言えば、

これは、まっかっかな嘘だ。


居候は思わず、それはないぜって、つぶやいた。この記事を書いたライターは技術音痴、世間知らずの馬鹿者で、こんなのに先端記事を書かせる出版社も困った物だと雑誌をひっくりかえしたら、これが、「アスキー」なんだね。それで、納得。YahooBB!のBBphoneは、ソフトバンクだ。で、ソフトバンクは、DOS/Vマガジンと言う居候愛読のハイエンドな雑誌を出している。アスキーは初心者向きで居候には面白くも為にもならない。で、このライターは、商売敵のYahooBB!の簡単、設定不要IP電話であるBBフォンには触れたくなかったらしい。良く読むと、小さく、目立たぬようにYahooBB!は設定がいらないとは書いてあるが、全体基調は設定がとにかくいるんだという書き方だ。

これは実にフェアーじゃない。


YahooBB!以外のIP電話は、すべて、通信キャリアとISPとIP電話経営母体のどれかが一体になっていないので、ユーザが自分でパソコンからIP電話アダプターにいろいろ設定しなければならない。

YahooBB!のBBフォンは、三者が一体だから、既に設定済みのIP電話アダプターがくるので、電話機と柱や壁にある電話のコネクタとの間に、それをいれるだけだ。これが出来ない人は人間じゃないので、廃人にした方が良いという位に簡単なものだ。


8.IP電話の薦め;国内、米国どこでも3分、7円50銭
72.IP電話の勧め その2 「050-」のメリット





89.法務省と「糞」人名漢字の謎を解く   2004.7 目 次

官僚の馬鹿さ加減はここにも書いた。

「糞」、「屍」、「呪」、「癌」、「姦」など見るだに悍ましい字を法務省人名用漢字部会が驚くべきことに人名用漢字として追加した。当然のこと、世論に叩かれまくり、その舌の根も乾かぬ内にこれらを削除する検討に入った。この馬鹿さ加減をどう表現できるか、ただひたすら天を仰いで慨嘆するより仕方がない。

通常の常識を持つ人間なら、こんなことは世間に発表する前に行われるはずで、その為に「国語の権威」、「良識を持つ」とみなされている人間による部会があるんじゃないかと思うだろう。そうならないのが、官僚支配による日本の行政構造なのだ。

居候も昔、公務員試験 種を受けたことがある。残念ながら一番ではなかった。まあ、碁でも、将棋でも、相撲でも、柔道でも、野球でも圧倒的な一番はなくて、何勝何敗による一番しかないさ、と自らを慰めたが、この時、友人から間違っても警察にだけは行くなよ。同窓会に恥ずかしくて来られなくなるぞと忠告された。警察どころか、官僚になっては、恥ずかしくて同窓会に出られないからどこにも行かなかった。御誘いの通達は山ほど受けたが行かなくて良かった。

なぜ、こういうことになるか、少し解説しよう。

まず、

前提;
官僚は用心深く自らにいかなる責任も被さって来ないようにする。間違っても責任が発生することはしてはいけないという金科玉条がある。(そのくせ、国民の為にならんことは物凄い情熱でやるんだから驚く。あの情熱を正義に掛けたら日本は素晴らしい国になるのにと彼らのエネルギッシュな動きを目の当たりにみる度に思う)

1.何らかの統計から利用頻度が多い漢字を抜き出す。
 文科系人間の悲しさで数学の「本質」は理解できない。入試問題を機械的にこなしてきただけだ。結果、統計の意味が分からないから、統計的=客観的と思っている。客観的なら、自分の主観ではないから、責任は自分に掛かってこない。で、どこかに下請けに出したデータをそのまま部会に出す。間違っても、「糞」や「屍」はまずいぞなあ、消しておこう、などということは思わない。そんなことを思い、実行したとたん、その人間の主観が入り、それは責任を発生させるからだ。これは、どうやって作ったデータですかと言われたらさる(屎尿処理場と葬儀場の)資料から出現頻度の高い漢字を統計的に抜き出したものですと答えれば責任はない。

実は、「どの」統計を使うかという選択において既に主観が入っていいるのだが、そんなことには気が付かない。まあ、部会で誰かに指摘されて気が付いても大声で、「これは統計です。客観的資料です」と大声を出せば、高が民間人など恫喝できる。

2.部会というものは一般人が思っている様には機能しない。官僚のやることを官僚独裁でないよう見せかける道具にすぎない

部会のメンバーを見ればわかるが、道路公団の時の委員会メンバー猪瀬氏のような正論を吐く人間は決して選んでいない。小泉首相の偉さは正論を吐き、部会が大騒動になることを厭わず氏のような人物を選んだことだ。しかし、官僚はそんな危険人物は絶対に選ばない。西郷隆盛ではないが、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る」からだ。猪瀬氏は命はおろか、名も金も少なくとも官にもらう必要ない。まして官位など金を付けてくれてやると言われても要らぬだろう。名や金を自力で勝ち取っている人間にはそんなものは必要ないからだ。官位が欲しい部会委員になるような人物は世渡り上手以外の能力は皆無だから、官僚にとっては極めて扱いやすいわけだ。

ocha.gifお茶ブレイク
金もいらぬ、名誉もいらぬ
西郷さんは官僚の対局に立っていた人だから、始末に困った人に悩んだのではない。そういう人がいなければ国は救えないのだと言うことだ。

「 仕抹に困る人--西郷南洲翁遺訓その1(愛国論その5)
命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。この仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れども、个様(かよう)の人は、凡俗の眼には見得られぬとぞ申さるるに付き、孟子に、「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行う。志を得れば民と之れに由り、志を得ざれば独り其の道を行う。富貴も淫すること能わず、貧餞も移すこと能わず、威武も屈すること能わず。」と云いしは、今仰せられし如きの人物にやと問しかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。」

  −−南洲遺訓より



部会では、何も発言せず、官僚の提案に「yes」という人物だけを選択する。社会的な地位が高い方が良い。日本のような村社会で高い社会的地位とは、世渡りがうまく何事にも逆らわず、正論を装って「yes」と言い続けてきた人物であることが保証されているからだ。彼らなら絶対に官僚に逆らわない。

小泉首相の誕生は、そのような風潮に疑問を持つ市井の民の声に自民党が耐えられなくなったからで、自民党は官僚ではないが、官僚と二人三脚でやってきた政党だから発想は同じだった。「鈴木首相」などは、彼が現れるまで、「Suzuki,who?」と報じた海外メディアどころか日本人のほとんどすべてが知らなかった。要するに村社会では、調整によって人畜無害、いや官僚無害(旧自民党では長老無害)の人間が選ばれるからだ。

で、法務省の役人が--勿論、彼の人生の目的は、出世=法務省事務次官になることしかない--あらかじめ「客観的」統計的に選んでおいたろくでもない資料を麗々しく表紙を付け部会委員の机に並べる。

「なにかご意見はありますでしょうか」

いうまでもなく、彼らは言葉だけは慇懃無礼に丁寧だ。

     シーン

「いかがなものでしょうか」

「いや、パラパラと拝見させて頂きましたが、良いお仕事をされておられると感じました」

こういう歯の浮く様なお世辞を言うのが、xx省yy部会の委員の役割だ。間違っても、

「「糞」、「屍」、「呪」、「癌」、「姦」などは人名としてはいかがなものでしょうか?」

というような御役人様のやることに逆らうような意見を吐いてはいけない。悪代官に対抗できるのは黄門様だけだ。普通の委員がそんなことをすれば、次の機会にxx省の委員会(部会)の委員には選ばれなくなる。そうすると、「箔」が付かない。日本人はxx省御用達のような箔が大好きな田舎者ばかりだから、これは箔大好き人間には致命的だ。箔が付かないばかりか省の握っている様々な権益=金のおこぼれにありつけない。学者なら研究費が来なくなる。これが実に巧妙に意地悪をされる。官僚は陰湿な意地悪の策を考えることにかけては天才的だ。多分、連日こればかり考えて可惜才能を枯渇させてしまっているのだろう。

「忘れてはいけない。この部会委員に選ばれたのは、役人の言うことには逆らわず他の政府委員会にも名を連ね、箔を付けて社会的地位をえたからではないか。ここで要らぬ事を言っては残り少ない人生に大禍根を残すことになる。」彼ら委員はこう自分を戒めて決して役人のやることには逆らわないわけだ。

「では、これで行くことにさせて頂きます」

こんなプロセスで「糞」、「屍」、「呪」、「癌」、「姦」・・・が人名漢字となってしまったのだ。

「ハイテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する諮問」と少し違うのは、「糞」が人名漢字になろうとなるまいと、決まった後は官僚の権益には何の影響も及ぼさないことだ。「糞」で自分達の権力を振るうことはできない。しかし、「ハイテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する諮問」は違う。この法律ではパソコンを持っているすべての人間を逮捕できる基礎的事由を作ることができる。現実に逮捕するかどうかは、法務省の役人の言葉を借りれば、警察・検察のさじ加減一つで、猪瀬氏のように正論を言い募り官僚支配の邪魔になる人物だけを、選択的--つまり恣意的--に逮捕する法的手段をもつことができるのだ。こういう権益に関わることにかけては、官僚は主観どころか恣意を振るうことに何の躊躇もない。これが特別高等警察でなくてなんであろう。

木端役人に「技術」がわからんことは分かるが、「ハイテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する諮問」の為の諮問委員会には蒼々たる人物が並んでいるだろうと思っている人がいるかもしれない。しかし委員会が機能しないことは上に書いた。それがこんな諮問が出る最大の理由だ。付加的理由は、委員会名簿を見てごらん、そこに名を連ねている人たちの中には元技術者もいるが、彼らはすでに技術的に化石化した人物ばかりで、ハイテクなどわからんのだよ。その他は単なるyes-manにすぎない。

官僚にしてみれば、お上に弱い村社会の日本の民に対しては、こけおどしの経歴をもつ人物群を並べておいて凄みを利かせ、その委員会が認めたと官僚独裁を隠蔽し、かつ責任を彼らに被せられるから、こんな良い事はない。委員たちはお上の委員会の委員になったと経歴にかけるから箔が付くというもたれ合いの構造なのだ。

ocha.gifお茶ブレイク
お上に弱い村社会の日本の民
あなたがアメリカの友人の家に電話したらいなかった。友人がxxという組織に勤務していることは知っている。ちょっとその友人に遊びの事でどうしても連絡が取りたい。さて、あなたなら、どうする?

この逆の場合だが、居候に連絡の付かない我が欧米の親友たちは、在日の彼らの国の大使館を使ったのだ。居候さん、yy国の大使館から電話ですが、と電話に出た女の子が言う。何かと思ったら、友人が大使館にxxの居候を探せと言って探させたのだ。我が友人はロシアや、中国や、北朝鮮の要人ではない。居候と同じ単なる市井の民に過ぎない。この時、欧米の官僚と市民の関係の本質を居候ははたと悟った。大使館を使うことは彼らにとっては、蕎麦屋の出前を使う程度のものなのだ。当たり前だ。大使館は彼らの税金で成り立っているからだ。日本の良識人--軽い風邪で病院に行くのに救急車をタクシー代わりに使う類猿人ではないという意味だが--でこんな発想ができる人はいまい。「社会契約論」は日本では絶対にでないだろうともその時、思った。



どちらにしろ、助手、助教授などの技術の一線にいる本物の技術者はこんな委員には選ばれない。なにしろ、まだ、yes-manになるかどうかまるで分からないからだ。若い内から世渡りだけ上手はいてyes-manの素質を持っている者は官僚を見ればわかるように学界にもいるが、それはまだ「箔」によって飾られていないので官僚には分からない。うっかり、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ始末に困る」人間を委員にすると道路公団のように(官僚にとって)ろくなことにならない。だから、委員に名を連ねるのは毒にも薬にもならない社会的地位の高い人物ばかりになり、その種のものに魅力を感じていない「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ始末に困る」人は任命されない。







90.湘南で降った雹の写真   2004.7 目 次

驚いた。2004.7.11(日)12:40頃、一天俄かにかき曇り、雷鳴の轟音轟く中を、バリバリバリと屋根を叩く音とともに、こんな雹が降った。慌てて雨戸を閉めたが、相当長い間、雹に叩かれていたにも拘わらず、窓ガラスは一枚も破れなかった。掃き出しの一枚ガラスは当然強化ガラスだが、窓ガラスはなんでもない普通のガラスに過ぎない。それが、強い西風に吹かれて衝突してくる雹に耐えたのには結構驚いた。

ただ、プラスティックのトタンのような波板というか、庭の片隅に駐車場を作って屋根にしてある、アレは、既に紫外線で散々に痛め付けられ、重合が解けて脆くなっていたので、穴がブスブスに開いてしまった。

一円玉の直径は2cmだ。雨戸を閉める時に振り込んできた雹だから、ほとんど融けていないので、これは降ってきた雹の大きさだと思っていい。2cmもの雹は結構大きいほうなのだろう。

これは表面がちょっとだけ融けている。白さが取れて、透明感が出てきた。

庭に溜まった雹。








91.文科系と理科系の発想の違い   2004.11 目 次

 良く、文科系と理科系と言う表現がされるが、具体的にどこが違うのだろうか?別に数学や物理が好きだからって、理科系人間というわけでもないし、まして、理学部、工学部、あるいは医学部(医学博士というのは文学部出身で取れる。心理学は文学部に属しているが、心理学博士なんて博士号がなかった頃は文学博士か医学博士になるしかなかった。文学博士よりは医学博士の方がはるかに簡単に取れたものだ)を出ているからって全然理科系人間である保証はない。逆に、文学部、法学部、経済学部というような文科系出身でも理科系の発想をする人たちを居候は結構知っている

ある会誌を読んでいたら、文科系のお人が、病気になって手術が必要な友人に「この手術での死亡事故は400例中1件だけだから、安全だ」と言ったところ、言われた友人に、「400人の一人に自分がならない保証はどこにあるのか?医師にとっては1/400でも患者にとってはそんな数字は関係ない。死ぬ患者にとっては死ぬ確率は100%だ」と反論されたという読み物があった。もっともなことだ。なんだか典型的な文科系の会話を聞いている気がした。

1/400というのは、その手術の死亡確率であることは誰もが納得するだろう。患者にとって知りたい確率は、そんな確率ではない。もちろん、「死ぬ患者にとっては死ぬ確率は100%」でもない。患者が知りたいのは、「その手術で自分が死なない確率」なのだ。それは、術式の安全性だけではなく、自分がかかる医師の腕前、自分の病状、体調、不測の事故が起きない確率(あるいは起きる確率。そんなものは分からないから不測なのだが^^;)等々が分かれば計算できる。が、そんなものはほとんどどれも分からない。医師の腕前を確率として表現できるか?できるわけがない。そりゃ、彼か彼女がした同じ手術の成功例の数でできるかもしれないが、確率として算出できるほどの数はなかなかこなせまい。30件やって全部成功と言われたって、31件目で失敗するかもしれない。1000件もやっていれば有意な数字がでてくるだろうけど。その他も同様。だから、そんな確率は計算不可能なのだ。というように、意味のある確率は何か?それはどのように計算できるのかという発想ができるのが理科系の頭なのだ。

ノーベル賞学者の利根川進氏とジャーナリストの立花隆氏の対談集「精神と物質」という本がある。利根川氏がノーベル賞を受賞した経緯を語った本だ。文春文庫になっている。利根川氏は骨の髄まで理科系の人である。立花氏は東大仏文科出身の一応、文科系だ。で、この本を読み進むと分かるのだが、立花氏は生命科学を実に良く理解していて、事象を良くご存知である。利根川氏との対談が難しくなってくると、ところどころで解説を始める。それを読んでいて、この人は文学部出身だけれど、理科系なのかなと思い出した。ところが、巻末近くになると、どうもその印象が怪しげになってきた。

立花
遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、基本的には、生命の神秘なんてものはないということになりますか。(太字は居候による。以下、同様)

利根川
「神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。生物というのは、もともと地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。無生物からできたものであれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。要するに、生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね」

立花
だけど、そういう精神現象まで分子レベルの物質の動きにまでさかのぼって説明をつけようというのは、まあ、いってみれば新幹線がなぜ走るのかを、素粒子までさかのぼって説明をつけようとするようなもので、そこまで説明し出したら説明が膨大になりすぎて、エフィシャントな説明にならないでしょう。

利根川
「その比喩は、あてはまらないでしょう。今いっているのは、精神現象に物質レベルの基盤があるかどうか、ということです。・・・」(居候註;立花氏の発想には原理と現実の区別がない)

立花
だけど、精神現象というのは、はたして新幹線や免疫現象のような意味で、物質的基盤を持つといえるんでしょうかね。あれは一種の幻のようなものじゃないですか。新幹線や免疫現象なら、そこに生起している現象も運動であり、物質の化学反応ですね。だからとことん物質レベルで説明をつけることに意味があるだろうけど、精神現象というのは重さもない、形もない、物質としての実体がないんだから、物質レベルで説明をつける意義があまりないと思いますが。

利根川
「その幻って何ですか。そういう訳のわからないものを持ち出されると、僕は理解できなくなっちゃう。いま、精神現象には重さも、形もない、物質としての実体がないとおっしゃいましたが、こういう性状を持たないもの、例えば電気とか磁気も現代物理学の対象になっているわけです・・・」
(居候註;既に17世紀にニュートンは、重さも形もない「万有引力」を発見しているのだが。。。)

立花
しかし、精神現象を何でも脳内の物質現象に還元してしまったら、精神世界の豊かさを殺してしまった理解になってしまうんじゃないですか。
(居候註;その理解のどこに不都合があるのだろうか?)

   ・・・

そこまで極端に物質に還元してしまうと、自己というものがなくなってしまうんじゃありませんか。

利根川
「いや、あのね、もう一つ極端なことを言うと、僕は唯心論者なんです」


お分かりであろうか。立花氏があえてこのような発言をしているのであって、世の大方の文科系の人々の発想を代弁しているだけなのであれば別だが、そうでなければ、彼は典型的な文科系人間であるということである。彼は秀才だから、記憶力はいいし、理解力もあるが、ことの発想の根源に客観性がない。彼は、なぜか、既に、人間性というものに対する捕らわれ、先入観があるのである。「生命の神秘」、「精神世界の豊かさ」、「エフィシャントな説明にならない」、「自己というものがなくなる」の言葉にそれが如実に表れている。

生命は神秘であって、理解できてはならないと思っているようだ。利根川氏がこれにたいしては明快に答えている。

精神世界は豊かなものだ。というが、豊かであるとはどう定義されるのか?そもそも、豊かであることの何の証明も、それを計測する手段も示されていない。彼にとっては、それは自明の真理であるらしいのである。物質は単純なもの、精神は豊かなものとなぜか何の証明もなく信じ込んでいるように見える。

物質世界がどれほど豊かなものであるかは、いまだ人類は物質世界をその最高精神をもってしても解明できずにいることからもわかる。形而上学は、19世紀創始の量子力学、それに続く相対性理論以来、宇宙のありようについては語る力をなくしているのである。形而上学は既にギリシャ哲学の時代に原子論を編み出した。そこまでは物質を語ることはできたと言ってもまあ、良い。

しかし、これ以上分割できないという意味のアトム(原子)は実は陽子やら、中性子やら電子やらに分割でき、ア・トムどころかトムできてしまった。このあたりから形而上学は物質に関して語る能力を失ってしまった。陽子も中性子もなんのことはない、更に分割できるらしい。チャームとかストレンジとかいう変なクォークに。クォークもまた更に分割できるらしい。もっとも、こういう理論物理を形而上学と言ってしまえば、それまでだが、それにしても人類の「豊かな」精神には、残念ながら物質の本性は終に解明できないのではないか。素粒子論はもうなんだか訳がわからない迷路に入っているとしか思えないし、素晴らしい成果を収めた量子力学も相対論も瑕疵がある。まだ宇宙(物質)を語り尽くしてなどいないのだ。

相対性理論、量子力学−−これらの理論に対して未来が保留している運命がどういうものだとしても、これらは雄大な思想的努力である --Loius de Broglie/ルイ・ド・ブロイ/機械と精神/1932年パストゥーツ高等中学校における講演

精神が豊かであるとは、絶対的な豊かさではなく、ド・ブロイの言うような意味での豊かさにすぎない。「精神は物質に還元されるようなものではない」と言うのは、か弱い葦に過ぎない人類の実に不遜な考えなのである。人類は釈迦の掌の上で踊っているだけの孫悟空に過ぎない。もちろん、物質が釈迦である。

彼は、精神は豊かなものであってほしいという願望を持っていて、そう願うあまり、何の証明もなくそれは彼にとっては真理になってしまっているかのようである。「自己というものがなくなる」もそうであり、利根川氏もこのころになると辟易しているのが良く分かる。「自己」とは何か、「それがなくなる」とはどういうことであるか、「利根川氏の方法論によると、それがなぜ、なくなるといえるのか」に付いてのなんらの思弁も反省もなく、言葉だけが踊っているのである。



語りえぬものについては沈黙せねばならない --論理哲学論考 ヴィトゲンシュタイン
子、怪力乱心を語らず  --論語

証明なくしては何物も容認せず。
アプリオリに何物も否定せず。 ----宮城音弥






92.価格はどうやって決まるのか?   2004.11 目 次

物の価格は業界の慣習や条件があるから一概に言えないが、概ねの経済的法則はあろう。たとえば電機会社の一般的製品の工場出荷価格は定価(メーカ希望価格)の30%程度である。これに、卸や中卸などの中間業者のマージンが30%、最後に小売りの利益が40%乗って、価格になる。 卸や中卸というのは、たとえば電機なら関東、大阪、福岡などというような単位でxx電機販売などという子会社があって、そこが販売を統括するものだ。卸だけの場合もあれば、中卸などというさらに小さな中間業者もいる。自動車を考えればわかるだろう。トヨタや日産が直売りなどしていない。

つまりは、我々はメーカから直接買えば定価の30%程度で物を買うことができるということだ。メーカはそれで十分利益がでる。つまり、何重にも渡る不効率な組織、直接には生産にかかわらない、会長、社長、副社長、以下の役員や、総務などというほとんど無用な組織、人事、経理、渉外、知財、労務、国際、広報、関係会社管理などというどうでもよさそうな、工場の出す利益に寄生しているだけの部署、さらには営業をも十分食わせて、もちろん直接生産に関わり、直接利益をだす工場を食わせて、さらにさらに、将来の利益の種の研究所を食わせて、なお株主に配当がだせ、高額なTV,新聞コマーシャルを打てるというわけだ。実際の生産費用は定価の10%に満たないのではないだろうか。

大手の電機販売会社が、「3割、4割当たり前、5割、6割引」というコマーシャルを一時、大々的にTVで打っていた。あれで利益が出るのだろうか?と思った人は、とても優しい人だ。一昔前、そうだね30年以上前かな、その頃は上に書いた、メーカ→卸→中卸→小売り、という構図の物流形態だったから、販売会社は4割しか取り分がない。4割引きしたら、1円も残らない。社員の給料どころか、電話代もでない。しかし、大手販売会社は、メーカ直結だ。ということは定価の30%以下で仕入れているから6割引しても、まだ1割以上の利益(といっても、ここから社員の給与などすべての経費を出さなければならないので純利益ではないが)が出る。あてずっぽだけど、この先鞭をつけたのが、今、左前になっているダイエーじゃないかな。30年前の意気揚揚だったころのダイエーは「そんな安い値段で売ってもらっては市場価格が乱れるから困る」という松下や東芝をはじめとする家電大手と大喧嘩しながら安売りをしていた。

今では、カテゴリー・キラーといわれる一品種主義の大手販売が広がって、ダイエーのような総合販売が苦しくなった。もっともダイエーの危機はイトーヨーカドーのような堅実経営をとらず、放漫経営に陥ったことが主因ではあろうが。カテゴリー・キラーとは、ヤマダ電機、コジマ電機、ユニクロ、マクドナルド、ダイソー、てんや(天丼だけの店)、吉野家などに代表される一品種(品種=カテゴリー)だけを扱ってその分野を制圧する企業だ(キラー)。カテゴリー・キラーが調子にのってずさんに他の分野に入っていくと失敗するのはユニクロを見れば一目瞭然だろう。カテゴリーキラーは、間に卸を入れないから利幅が大きい。だから5割引だってできてしまう。今では大手スーパもそうだ。その中でも、商品企画から入ってさらに低価格にしたものが、ダイエーでいえば、セービング(Saving)製品だ。節約という意味。首都圏でよくあるスーパの冷凍食品の5割引きも、だから赤字でやっているわけではない。

30年前は、バーバリーのトレンチコートは25万円から30万円していた。あれは、イギリスで買えば、当時の為替レートでも10万していない。イギリスから輸入する総代理店、そこから、代理店、卸、仲卸、そして漸くデパートや、銀座の小売りに並ぶころには、中間マージンで膨れ上がり25万なんてあほらしい定価になる。居候は、たまたま、行ったシンガポールのどこだったかな、三越だったか高島屋だったか記憶がないが、そこで15万で買った。もちろん、エジプト製木綿の最高級品だ。その後、80年代後半頃、ロンドンのバーバリー専門店でポリエステル混紡だったか、100%だったか忘れたが7万売っているのをみた。木綿で10万くらいだったかな。

当時、並行輸入という方法で販売している会社があって、そこで買えばシンガポールでの価格、つまり半額近くで買うこともできた。並行輸入というのは、並行輸入企業が日本の総代理店を通さずにロンドンの店で買い集める方法だ。香港で買ってもいい。あのころのいわゆるブランドはあくどくて、各国の総代理店にしか売らないから総代理店以外の企業がバーバリーから直には買えなかったので、こんな方法をとっていた。今では、この総代理店形式はほぼ崩れたので、関東なら御徒町にある多慶屋あたりのディスカウントショップに行けばバーバリーのコートは7,8万で買える。もちろん、サンヨーのライセンス物=日本製ではない。もっとも、イギリス製がありがたいかどうかは疑義があるけどね。ブランド物が好きな人々というのは物の質だけではなく中間マージン搾取機構にお金を払うことが好きな人々でもあるわけだ。

そういえば、家のリフォームも滅法、高い。大工を始めとする職人さんの人件費は、彼らも暮らしがあるのだから相応だが、何が高いって、洗面台とか、キッチンまわりの棚とか、シンク、調理台、ガス台などの高さには目をむく。ダイソーで100円で売っている、割り箸くらいの太さの金属ワイアーに白いビニールをかぶせた材料で作ってある、幅30cm、奥行20cm、高さ15cmくらいの棚、足が折りたためるあれね。あれがカタログ価格で3200円だ。ダイソーやキャンドゥが100円で売り出す前は、ドイト=ドゥー・イッツ・ユアーセルフの店で290円で売っていた。それが、2004年現在のカタログにどうどうと3200円で出ている。だから、この業界は4割、5割あたりまえ、6割引も平気である世界なのだ。

インテリア、エクステリアは、一度、据えたら10年は買い換えないからしかたないか、とは一瞬思うが、家電だって、そうだ。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電話機などを毎年買い換えているのは成金くらいだろう。電機は輸出もできるが日本のインテリアは、ま、輸出できない。サンウェーブ、タカラスタンダード、トートー、クリナップ、etc.はどのくらい輸出できているか、不明にして知らない。が、輸出できるということは輸入もできるということで、日本の電機産業はそれで、韓国、台湾、中国との価格競争で悪戦苦闘しているわけだから、やはりキッチンやトイレタリ製品のメーカというのは左団扇の放漫経営なのだろう。考えてみればわかるが、陶器のちょっと大き目の洗面器の下に木製の箱をつけ、上にはプラスチック一体成型の1m四方の薄い箱に鏡を貼り付けただけで10万という価格はつくはずがない。10万といえば、DVDまでついたDELLのノートパソコンが買える。あの超ハイテク製品の価格だ。電機や自動車のハイテク機械の研究開発費、製造費を考えれば、洗面台のようなローテクの製品は数千円の原価だろう。十倍から二十倍のマージンを掛けてあると思う。上の、100円のワイアー置棚にいたっては40倍だ(ダイソーは100円で、なお利益が出ているのだからね)。

さて、人件費だが、企業なら外注、家庭なら大工さんを雇えばわかる。面倒だから切りのいいところで、35歳、月給35万、ボーナス、5.5ヶ月としよう。この場合、35万x17.5が年収だ。つまり約600万円。この辺りが、平均年収とされている。この人を外注、いまではアウトソーシングと横文字だが、で雇うと、企業間でこの人のアウトソーシング代として80〜100万/月はとられる。もっとも、企業間契約が、資本関係があるか、安定長期契約か、スポット契約かにもよるが、スポットだとそんなところだ。80万の場合、1年契約だと、年間960万円とられる。意外に低いマージンだが、実際には25歳の年収400万円程度の人もいるから、この場合は倍以上のマージンだ。

勿論、600万円の年収のサラリーマンにその人を雇っている企業が使う金は当然600万円ではない。社会保険庁の官吏、どちらかという吏(下っ端役人)に無駄に使われている金を社会保険として払わなければならない、退職金引当金も積まねばならない、彼が使う机や電話の減価償却代もいるし、リースしているオフィス代も、道路公団職員の 分不相応な豪邸の社宅代に当てる首都高料金もいる、各種税金もいる。というわけで、400万円や600万円のサラリーマンでも企業としては700万から800万の経費がかかる。700万として、年間労働時間約1800時間でわれば、約4千円の時給になるというものだ。まあ、大工さんはそんなに大きな中間経費は要らないから、こんな時給にはならないだろうが、実際にはそれくらいとられている。大会社では、上に書いたようなほとんど何の役にもたっておらず、半数に削減できる文科系の職員が無駄飯をくっているから、こんな値段になるのだ。

水道だったか、なんだったかに修理にきてもらった。修理はねじ1個の交換5分で済んだのだが、出張料5600円、技術料6200円、部品代14円で、1万円強を払った。しかし、彼ら二人は、我が家にくるのに、往復最低1時間はかかるのだから、人件費の構造から考えればこんなものだ。実際には日に8時間完全に詰まるわけでもなし、病気にもなれば、雨で仕事ができない日もあるからね。







93.IHクッキングヒータはどうして熱くなるのか?   2004.11 目 次

最近の家電で、まだ韓国あたりから追従されていないものは、電機でも工場製造原価の数十倍のマージンをかけている。IHクッキングヒータ、自動食洗器、斜め入れの洗濯機などだ。後ろ二つは、誰でも見ればわかるだろう。あんな簡単な構造のものが、あんな価格がつくはずが無いって。しかし、IHといわれると、ニクロム線の電気コンロと違って、コンロは熱くならない。それなのになべが熱くなる。これは不思議だ。ま、電子レンジもそうなんだけどね。あれは電子レンジのように囲われた箱に入れなくても良い。不思議だろうね。で、凄いハイテクで高いのかな?と思うかもしれないが、あんなローテクは電気製品ではあまり他にはないんだよ。

IHというのはInduction Heating。電気工学では大昔から知られている原理だ。というか、電気工学はこれから始まると言って良い。inductionというと難しそうだが、何のことはない。モータや発電機の原理だ。磁石の近くで鉄のくぎや針金を振ってやるとそれの中に電流が流れる。その現象をinduction、誘導という。まあ、電流が誘導されたということだ。電流が流れれば、熱が出る。電気工学ではこれ以上は簡単な原理はないという、おっそろしく簡単な原理なのだ。つまりローテクの極み製品。

え、磁石のそばで針金を振るにはどうするかって?振るためにモータが要るじゃないか?ところが、その逆がある。針金のそばで磁石を振ればいい。振るんじゃ同じ事?ちがうんだね。磁石を機械的に振るんじゃなくって電気的に振ればいいじゃないか。幸い、家庭にきている電気は交流だ。一秒間に50回とか60回+−が入れ代わる。つまり磁石を振っているのと同じなのだ。そうすると針金に電流が流れる。針金には必ず電気抵抗があるから、Iアンペアの電流が流れ、Rオームの抵抗があればIxIxRワットの電力が消費され熱に変わる。これがIHの原理だ。

なべに針金など巻いてない?そう。なべそのものが針金なのだ。金属の平板の周りで磁界が変化すると、平板の中には丸い渦状の電流が流れる。これを電気工学では渦電流(うずでんりゅう)とママの呼び方をする。英語では、eddy current、これもママだ。で、なべがRオームの抵抗を持てば抵抗に電流が流れるのだから熱が発生するというわけだ。だから、IHの中身は巨大な電磁石だ。つまり電磁石の傍に鉄のなべを置いた状態で、電磁石に交流を流せば、磁石のNSが毎回50回(関東以北)とか60回(中部以西)変わるので磁石をものすごい勢いで振っていることになる。

こんな簡単な原理だから、電子レンジより早く実用になってもよかったのだがなぜかならなかったのが不思議だ。で、1秒間に50回ではまだ遅い。半導体などのインバータを使ってもっと速い周波数にすればもっと熱くなる。しかし、交流には表皮効果、skin effectという効果があって、太い電線に交流を流すと、電線の内部に電流が入っていかず表面にしか流れない。周波数(50とか60ね)が高くなると、この効果はますます強く現れる。人間が感電したとき、交流より直流が危険だというのは、交流は体の表面しか流れないから心臓などの内臓が襲われる危険が少ないということだ。

IHは基本的に金属なべ、それも鉄なべしか使えないのは、渦電流が起きなければならない(金属であること)、抵抗が大きくなければならない(鉄であること)という理由だ。銅では抵抗が少ないので熱が発生しにくい。で、松下電器は、周波数を高くして、電流を増やし銅でも使えるようにした。熱は電流の二乗に比例するからね。これは有効な手だ。だけど、周波数を上げると表皮効果で電磁石の方に電気が流れにくくなる。それで、電磁石のコイルを細くし、かわりに本数を多くした。こういうことで、鉄なべ以外でもOKというオールメタルとかいう、IHを作ったのだが、相変わらずローテクであることに変わりは無い。他社は、鉄なべ以外にはラジエントとかいって、要するにニクロム線方式で対応しているところがある。理由は不明。オールメタルにはどこにも特許になるような部分があるようにはみえないんだけどね。日立はPAMメタルといって、オールメタルの類似方式のようだ。

こんな理由で、200Vの本格的IHは15Kgとかの重量がある。中は鉄心に銅線を巻いただけの、電磁石が収まっているだけだ。金属の塊だから重い。電磁石だからね。

IHは電気を大量に使う。電気が世界一高い日本には不向きに思えるが、ガスに比べて燃費は高くならない。ガスコンロを見てごらん、なんだか熱の大半が外に漏れているように見えるでしょ。熱効率30%程度。IHは何しろなべそのものが熱くなるんだから熱が逃げない。内部に向かう熱と外に向かう熱というのもあるけどね。とにかく熱効率が100%に近い。だから、電気料金がガスの3倍あってもトントンなのだ。で、実際にはトントンだろう。

IHのコマーシャルにはIHが微妙に安いとは書いてあるけどね。それから、IHのコマーシャルにはだまされないように。3Kwとか2Kwとか書いてあるが、実際には2Kwだ。3Kwは、凄く制限があって、湯を沸かす時に使えるだけ。しかも2口ならどちらかだけ。実際には2Kwしか使わないことになるだろうね。

それから200V工事がいる。二十年以上も前に建てた家だと200Vの工事を電力会社に頼むことになるから、なんだかんだで15万円くらいの工事費がいる。最近の家は、皆200Vが家の中の配電盤まできているので、ちょっとした工事ですむ。ま、ちょっとしても工事は人件費だから数万は軽くかかるが。IHは据え置き型で、松下の売れ筋KZ-K221DSが定価約15万円(インターネットでの実売7万http://www.rakuten.co.jp/tomato/居候はここで買った。信用できる)だ。


家庭にはこんな電気が来ている;

電柱側
−−@@−−−−−−−−−−−  黒
   @@    ↑      ↑
   @@   100V
   @@    ↓
   @@−−−−−−− 200V  白(接地)
   @@    ↑
   @@   100V
   @@    ↓      ↓
−−@@−−−−−−−−−−−  赤


@はトランスのコイルのつもり。電柱にはトランスと呼ばれる変圧器が取り付けてあって、電線には6600V流れている。それがトランスで100Vと200Vに降圧されて家庭の配電盤に来ている。配電盤を開けて、黒、赤、白の3本が来ていれば単相三線200Vが来ているということだ。昔風の配電盤だと、白、黒しかない。で、上の図の真中の白い電線は、電柱の所で地面に挿してある。これを接地という。

だから、家の配線がまじめにされていれば、コンセントに来ている白い線(コンセントのプラグを挿す穴が少し長い方)を触っても感電しないが(電気屋が間違って配線しているかもしれないのでやらない事。感電死してもしらないからね)、黒い方を触ると、黒い線とあなたと家と地面を通って電気が流れるので感電する。居候の家の3口コンセントは、1口づつのユニットを3口まとめてあるが、一個だけ長い穴の向きが左右違う。いい加減な電気屋が工事したということだ。で、この一つ違うユニットには長い穴に白い線がきているが、他の2個は黒い。だから長い穴だから大丈夫だろうと裸の針金を素手でもって差し込むと感電する。こんな電気屋がやった屋内配線は白も黒も信頼できないけれどね。

このように家の100Vは2本の線が対等ではない。片方は接地されているからだ。しかし、200Vの黒、赤は対等だ。100Vの機器のプラグを間違って200Vに指すと壊れてしまうし、火事になるかもしれないので、200Vのコンセント口は形が違う。IとLとUの形の穴でできている。





94.シャープのエアコンは25Wもの予熱をしている。月に350円!   2005.1 目 次

シャープの新型エアコンを付けてマニュアルを読んでいたら、冬は暖房のために25Wの予熱をしていると書いてある。に〜〜じゅうごわっと〜お〜。居候は思わず黄色い大声で叫んでしまった。これには本気で驚いた。25Wと言えば概算で月に350円にもなる。2台で700円、3台で1000円だ。つまり、それだけ地球の温暖化促進に貢献しているわけだ。何を考えてこんな馬鹿らしい設計をしているのだろう。 しかも、これを止める方法はコンセントからプラグを抜くしかない。これにも驚く。普通なら本体に電源スイッチをつける。

地球温暖化問題が世界のテーマになって久しい。5Wのテレビの予熱でさえ問題になり、電気屋に行けば、スイッチ付のタップが各種並んでいる。テレビなどでは「電源」スイッチが本体にあり、リモコンではなく、このスイッチを切れば予熱をしないようにできる。しかも、こんな問題は地球温暖化が問題になる前の話だ。21世紀のこの時代に、シャープの技術者はそんなことも知らないのかとあきれるばかりである。確かに、目のつけどころが違う

シャープのエアコンは摂氏10度以下でこの予熱が始まるが、日本の大抵の冬の外気温は10度以下だ。おまけにエアコンという物は出自がクーラだから日の当たらない所に設置するのが普通である。クーラは室内の熱を外に出し、それを放熱しなければならない。そこに太陽の熱が当たっては冷えないからだ。従って、冬は10度以上になることはあまりない。一日中25Wで予熱しっぱなしになる。シャープのエアコンがどれだけ売れているかしらないが、地球環境のためには、一台でも少なければ少ないほうが良い。

予熱の理由のひとつに、ラジエータが凍りつくというものがある。エアコンはヒートポンプだ。つまり、熱を自分で出すのではない。熱をポンプのように汲み上げて移動するのだ。部屋の中の熱を汲み上げて外に放熱すれば冷房になる。逆に外の熱を吸い上げて部屋の中に放熱すれば暖房だ。外が、たとえば摂氏5度、部屋の中が摂氏20度としよう。5度cでも熱はある。熱が0の状態とは、絶対零度の状態だ。つまり摂氏−273度になると熱は0になる。量子力学的には不確定性原理のために熱が0の状態は実現しない。が、ま、そんなことはどうでも良い。5度でも熱はあるので、ここから吸い上げるのだ。これはどういうことかというと、室内を暖めて、冷えた媒体(エアコンの中に入っている液体)を室外機に運ぶ。つまり室外機を冷やしているのだ。その分室内が暖まる。冷やされた媒体は室外機で暖めなければならない。クーラとは逆だ。ところが外が5度cのところに更に冷たい媒体がいくのだから、0度以下になることもある。つまり、室外機が凍ってしまうのだ。冷凍庫が凍って霜が付くのと同じだ。そうなると、さすがに外の5度cの熱だけでは室外機の霜を融かすことはできないので、ヒータが必要になる。

つまり、運転時にはヒータが必要になることもあろうが、運転していない時にそんなことは起きない。室外が自然に0度cになる地方では、非運転時にも凍るから必要であろうが、東北や北海道、軽井沢のような中部の山岳地帯だろう。それ以外では必要ない。居候の住む湘南地方などもってのほかなのだ。そんな寒冷地では、そもそもエアコンで暖房なんて効率が悪くてできないも同然なのだ。オイルを燃やす方がはるかに効率が良い。つまり、何を考えたら、こういう馬鹿な設計ができるのかわからないのだ。

この地球温暖化促進機器問題の解決策はひとつしかない。エアコンのコンセントはエアコンの横に付いているものだ。そんな所に手は届かないから、孫の手スイッチというものを大枚800円出して買ってきて、こまめに電源を元から切るしか手はない。悩むのは、エアコンというものは大電力を食うから、壁コンから直接電気をとれと、大抵のマニュアルには書いてある。孫の手スイッチの説明書には、出力1500Wまで。しかも、エアコンのような物には使ってはいけないと書いてある。火事にならないという保証はしないが、使ってもよい。最近のモータの性能はすごい。エアコンのコンプレッサーの電力は、ちょっと前と違い、定常状態で800W程度だ。力率という概念が交流にはあって、800Wだから、100Vなら8Aというわけにはいかないが、10Aを越えることはないだろう。最新車両のJRに乗っていると、「この電車は従来の電車の半分の電力で走っています」と書いてある。冷蔵庫なども消費電力が記録的に少なくなった。だから、10年も前のエアコンでは使わない方がいいが、最近のものなら平気だ。10畳用程度ならね。

モータは起動時には大電力を食う。定常状態の5−7倍の電流が流れるという。2,3秒たてば定常運転に入るからそれを持ちこたえれば、もう大丈夫なのだ。実はモータと発電機というのは同じ構造をしている。電気を入れてモータを回せば、回っているのだから発電機でもある。だから、100Vをモータに入れていても、この発電機としての機能で、70V発電していれば差し引き30V分しか消費されない。だから、回ってしまえば(定常状態になれば)あまり電気を食わないのだ。起動時は回っていないところに電気を入れるから100V分がもろに入っていき、つまりそれだけ大電流が流れる。直流では、電圧=抵抗X電流だ。交流では少し違うし、起動時には過渡現象という現象で直流でもこんなに簡単ではないが、基本的には同じと思って良い。だから、100Vがもろにかかる起動時は、電流も大きくなる。電車などは、減速するとき、折角動いているモータ=発電機をブレーキで止めるのはもったいないので、電気を架線に戻している。そうすると、自動車のエンジンブレーキと同じような原理で電気的ブレーキにもなる。これを回生制動という。電気の節約とブレーキシューの磨耗を軽減するという一石二鳥の方法なのだ。

水路式の水力発電機は夜になって電気が余ってくると発電機に電気を入れてモータとして使って、下のプールの水を上に上げている。これも節約と火力発電機や原子力発電機が起こす電気を無駄にしない方策なのだ。

ついでながら、モータで発電機を回せば永久機関になることはないとしても、電気の節約になるんではないかと思っている人がいるらしい。つまり、モータでコンプレッサーを回して冷房すると同時にそこに発電機をつけておくと電気が起こせるからと言う理由なのだ。上に書いたように、モータは既に原理的に自分の発電能力を、回っている時に使って省電力しているのだから、そんなことをすると、その内部的発電能力を外部で行うことになって、その分、負荷がかかり、電気を使うことになる。つまり、何にもならない。それどころか、エネルギーを移動させれば必ずロスが発生するから、かえって電気を食うことになる。

シャープには居候のような電気技師は上から下までいないんだろうなあ。





95.大阪市民よ、立ち上がらなくちゃ。血税無駄使いの市民税不払いとかで。   2005.1 目 次

読売新聞2005.2.613版38面中程に

「電子自治体なのに・・・「メール?電話でエエやんか」」

という大阪市の原始自治体ぶりが紹介されている。

「18億円の市民の血税をかけた庁内IT化は進まず、配備した15000台のパソコンの約半数が庁内ネットにつながれておらず、メールアドレスを持つものは課長以上の800人。ローッカにお蔵入りの職員もいる。大阪職員は、との連絡はいまだに電話かファックスです、と」

ここからが、笑えるのだが、

「IT化を担当する市情報システム推進課の木村哲也課長は「庁内ネット接続が全員に必要かは疑問。職場や職員からも要望はほとんどない」と話している」

と記事は言っている。

居候は腹を抱えて笑いすぎ、涙が出てきてしまった。この課長なる人物は自分の言っていることの意味も理解していないらしい。大阪市役所って、無能者の天国なんだなあ。居候も退職して、もっている知識と技術が時代遅れで何の役にもたたなくなったら、ぜひ、大阪市職員に採用してもらいたいものだ。

この課長の言葉を民間の言葉に翻訳してみよう。

営業成績が悪い営業課長が、部長に叱られた。課長はこういって反駁した。

「わが社の製品が全国民に必要かは疑問。企業や、国民からも要望はほとんどない」

これは抱腹絶倒もの。歴史に残る名言だ。この程度の頭の人物が課長ができるんだから、居候は、助役(市長は選挙だからね)ができるに違いない。

そういえば、大阪市の外郭団体がなんとかいうIT化の無料講演会のようなものをやっていた。居候は飛び込みで入ろうとしたら、受付嬢が、山と詰まれた資料を前に、「資料がありませんので、あらかじめ予約を入れたかたでないとはいれません」という。もう、とっくに開始時間はすぎている。この資料の山は欠席者か遅刻者用なのだ。大体、資料なんて少し余裕を見てつくる。東京でもこの手の催しはよくやく行われる。主催者は、飛込みだろうがなんだろうが、このような啓蒙的催しの意味からして、一人でも入ってもらうことに意味があることを良く心得ているから、揉み手で入れてくれる

大阪市の、かの団体は、まるで違う。資料はいらない、立ち席でも良いんだよと粘る居候を横から見ていた禿の貧相極まるおじちゃんがしゃしゃり出て来て、とにかく、予約がなければだめなんだよ、っと大阪風にがら悪くエバって言う。このとき、居候は大阪市の体質の本質をつかんだ。

大阪は太閤以来商業の街だ。民間は融通無碍。実に愛想がいい。市役所はその融通無碍さが気に入らないらしい。絶対に融通はきかせないぞ、ダメなもんはダメ。俺は木っ端役人なんだぞ、偉いんだぞ。なんだか、明治の太政官時代にもどったみたいだ。「民はよらしむべし、知らしむべからず。」官尊民卑。21世紀のこの時代が、100年昔にもどったみたいだ。大阪が沈没しつつあるはずだ。





96.鼻うがいのすすめ。風邪と花粉症への対策   2005.2 目 次

鼻うがいなどと言うものを教えてもらって、確かに悪そうではないので、やってみた。これが、恐らく効いていて、葛根湯と併用で風邪を引かない。

方法は簡単だが、こつが要る。いきなりやると、プールで水を飲んだときの様に、鼻の奥がつ〜んとして、涙がぼろぼろ出る。

口の大き目の要するに、鼻の穴が入り口に入りやすい程度の大きさの浅いコップ、マグカップがいいかな、それに1cmほどの深さに、人肌の湯を入れる。この1cmというのがコツなのだ。もうひとつは、生温湯。水では鼻の粘膜に刺激が強く辛いし、熱すぎても同様。何事も過ぎたるは、猶、及ばざるが如しだ。熱くも冷たくもない生温い湯を入れる。それを、傾けて、その端に鼻の穴を当てて、というか、最初はなれないから、中に鼻を少し突っ込み、その穴に湯を流し込むような、吸い上げるような適当な角度でそっと吸う。いきなり強く吸うと、気管にはいって、ゲボゲボやることになるから、くれぐれも気を付けて恐る々る、そっとそっと吸う

鼻の穴全部に水面をつけないこと。そんなことをすると、湯が鼻に入っていかない。で、強く吸うと、今度はいきなり気管にまで入ってしまって、死ぬ思いをする。湯面が、鼻の穴の半分程度(言うまでもないが、半分に厳密にこだわる必要はない。要するに、一部空けておくと言う事)にかかるようにする。ペットボトルに水を入れるとき、穴の全部から一気にいれようたって、入っていかない。入った水の分だけ空気が抜けるから、その空気の出口を空けてやる必要がある。だから、口の半分くらいに水を差し込む。それと同じことだ。鼻は奥で口に通じているから空気はそっちに抜けるので、ペットボトルとは違うって人は勝手にやっとくれ。で、1cmの水がこつということは、鼻の穴全面を水につけにくいからだ。最初はこれでやる。2,3回は鼻の奥がつ〜んとして、涙がでるし、奥から水が気管に落ちて、ゲボゲボ言うが、普通はすぐ慣れてうまくなると思うよ。

これ、鼻の奥の粘膜についた雑菌を洗い落とすんじゃなかろうか。居候は鼻が弱く、免疫も弱いので、毎年、風邪を引いていた。そうすると、鼻の粘膜が炎症を起こす。雑菌が繁殖して、物凄く濃い膿のような鼻が奥に溜まる。それに対処するために抗生剤を飲むという年中行事だった。粘膜の炎症が繰り返えされると、長い年月の間に粘膜がポリープ化して、副鼻腔炎になる。巷で言う蓄膿というものだが、膿が蓄えられているわけではない。冬が済めば問題ない。が、ポリープを手術でとらないとならなくなる。そんな人にはおすすめだ。おかげで、居候は実に快適な冬を送っている。今年は初めて鼻が詰まらない冬だ。

居候は花粉症とは縁がないが、鼻の奥についた花粉を洗い流してくれるから、やらないよりは良いのではないだろうか。

続き 2006.3
小林製薬から「痛くない鼻うがい ハナノア」という器具とうがい液がセットになったものが発売されている。近所のホームセンタで特売980円也。内容から言えば、暴利を貪っているとしか言えない代物だ。生理食塩水にグリセリンとどうでも言い素材をチョイチョイと入れて300mlでこの価格はない。器具というのが、100円ショップでなら、3個一組にしないと100円を取れそうもないポリエチレンの瓶というか、なんというか。まあ、アイデアを買おう。確かに痛くない。ゲボゲボ言わなくて済む。

で、代用品を作るのは簡単だ。うがい液は、水では浸透圧の関係で鼻粘膜が痛いので、0.9%食塩水にすればいい。コップ一杯が約200ccだから、その水に台所で使う食塩を2g弱入れればOK。入れ物は、100円ショップでスポイトっを買ってきて、目薬を注す要領で、顔を少し仰向けにして鼻の中に流し込めばOK。ゆっくりね。スポイトがなければ、目薬の容器でよい。要するに、柔らかい容器で、小さな穴が開いていればいいわけだ。

0.9%食塩水を作るのが面倒なら、薬局で生理食塩水を買えば良い。要するに体液と同じ濃度の食塩水なら染みない。

こんな所も大いに参考になる。
マキロン入り食塩水で洗う





97.JR福知山線事故報道を考える:JRと同類のマスメディアの間抜けぶり   2005.5.1 目 次

JRの役員は万死に値する。この事故は簡単に予測できたのだ。

70.JRを例に安全を考える;ハインリッヒの法則   (2003.11)

今回の事故はすでに一年半ほど前に予言していた。起こるべくして起こった事故である。JRの綱紀は上から下まで緩みきっている。テレビは上層部ばかりを責めている。綱紀の緩みを修正しようとしなかった責任は役員にある。その意味で万死に値する。

しかし、下はまともであったかと言うと、このHPのあちこちに出てくるように、役員と同じである。酷いものだ。それが今回の事故の本質である。メディアは退役運転手を登場させて、管理部門ばかり非難させているが、現場の退役運転手を出せば、上層部批判になるに決まっている。そうでない場合、ディレクタはそのような運転手は、番組として面白くならないから、登場させないだろう。

メディア報道というものは、ディレクターの予断で作られる。「事実をありのまま」なんていうものは、視聴者の思い込み、誤解にすぎない。「そうではないですよ」と言っても、ディレクターという人種は、面白い方に無理やり話を捻じ曲げる習性を持つ生き物だからだ。事実より、真実より、視聴率、これが彼らの行動を決める最大の指導原理だ。

このように、例によって、アホの代表であるテレビはわけのわからない扇情的な報道を行っているのである。2005.5.1 9AM頃、4Ch、いわゆるニッテレの報道は事実を冷静に報道するというより、頭の悪いディレクタの予断による適当な報道ばかりだ。

事故はあたかもJR西日本の経営体質が利益優先であるからだけといわんばかりだが、このディレクターは明らかに視聴率というテレビ会社の利益優先姿勢だけで報道を行っている。全く同じ体質だ。つまり、面白ければ、事実なんてどうでもいいという態度だ。

この事故の直接のきっかけは、過密ダイアでも、日勤でもない。オーバランなのだ。なぜ、オーバランを起こしたのか、そして、なぜ、この運転手は過去からオーバランを繰り返して起こしていたのか、さらに、そのような迂闊な性格である可能性のある運転手をなぜ、運転業務からはずさず使い続けたのか、そこにこそ問題が隠されているのである。人命を預かる運転士に厳しい訓練が付き物なのは当然で、それほどまでに再訓練しても同じ過ちを繰り返し、あまつさえ、過ちを糊塗しようとする資質しかない人間を運転士にしておいたことが問題なのだと、なぜ、彼らは気がつかないのか??

江川が、そこをきちんと指摘していたのだが、あのなんとかいうアホの典型の--徳光とかいうのかな--アナウンサーは、軽く無視してその話題を取り上げなかった。

その後の遺族の会話の中で、アナウンサーに向かって「日本の社会のゆるみがこういうことを起こしている」といった壮年の紳士の言葉が今回の事故の本質を明確に表している。JRは緩みきった日本の社会を典型的に現している組織だ。腐りきったマスメディアとそれが大量に醸成している無責任人間、遵法精神のない人間どもが起こした事故なのだ。

マスメディアは「過密ダイア」という。そして、「1分や2分遅れることがそれほど重大でしょうか」という無知な連中を平気で登場させている 。その緩みきった意識が、1億総白雉の基盤にあるのだ。ラッシュアワーで1分や2分も遅れたら、後続の列車がきてしまうのだ。この徳光というアホは電車通勤していないのだろうし、その電車に乗って実証しようという意識もないらしい。マスメディアは実証が基盤にあるはずで机上の空論で報道などしないはずなのだが、今では、適当なことを机上で作って報道しているようだ。「緩みきっている」としかいいようがない。

おまけに、彼は、これだけの悲惨な大事故を起こした運転手が「優秀な運転手」であると言う。その根拠は、「運転手であることは大変なことだ」からだそうだ。この男の頭の中には糠味噌しか入ってないのではないか。

下記は東海道線のラッシュ時の時刻表である。3分おきに出ている。これで、なお、ホームに乗客が取り残されているのだ。(フレックスになって以来、かなり緩和されたが)

7 04 06 09 12 18 20 23 26 29 32 35 40 43 46 49 55 58

つまり、過密ダイアなどというのは、問題ではないのだ。なのに、このテレビ会社は、1時間に50数本も出ている過密ぶりと報じていた。「50数本」の「数」は「4」とか、「6」とか言っていたが、居候の記憶が定かでないので「数」としておこう。

この数字を聞いて、彼らは疑問に思わなかったのだろうか?と居候は大いに疑問に思った。

常識的人間なら1時間は60分であることを知っている。1時間に50数本も出たら、小学生低学年でも暗算で約1分間隔で電車が出ているとわかる。電車は駅に少なくとも30秒は停車する。ということは、今、乗り込もうとしている電車の後続の電車がホームから見える位置まで来てしまっているということだ。

これが常識というものだが、そんな事を考えもできず、抜けぬけと報道する民放テレビのディレクタとか、アナウンサーとかニュースキャスタという人種はJRもびっくりの間抜け、アホ、非常識、無責任ども揃いということだ。

福知山線 宝塚駅の上り大阪方面行き時刻表の朝のラッシュアワーの時刻表は以下だ。
赤字はL特急だからホームが違うのだろうか。

7 02 11 14 17 20 26 27 31 37 38 42 44 48 53 54 58
8 00 04 09 10 14 16 20 25 29 31 39 41 46 53 58
9 02 03 07 14 16 27 30 39 41 45 54 59

http://ekikara.jp/newdata/line/2701181/28214021/up-1_1.htm

つまり、最も過密な7時台でさえ、16本しかない。これが常識というものだ。

ついでに下りを見てみよう。

下り;
7 13 15 24 30 33 46 49 54
8 03 05 13 23 26 36 37 42 58
9 00 04 13 20 23 32 40 51 53

http://ekikara.jp/newdata/line/2701181/28214021/down-1_1.htm

7時台は8本だ。これを加算することに意味はないが、馬鹿で間抜けな民放の人間は何をするかわからないので、やってみよう。

16+8=24本しかない。

日テレが報じた数の半分以下だ。ひょっとしたら、彼らは、宝塚か、伊丹か、尼崎を出るすべての電車の数を足して言ったのかもしれない。何を考えているのかねえ。いや、何も考えていないのだろう。ものを考えることなんて事は、生まれて以来したことがない連中の報道がメディアの本質とは、恐ろしい国だ。こんな連中がJRを運用したら、毎日が福知山線事故だろう。

メディアはもう少し、現場に密着して報道すべきだろう。メディアの原点を忘れた無責任者どもはJRと何ら変わることのない体質であり、目糞、鼻糞を笑っているにすぎない。

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「酷いものだ」
2005.5.4の新聞報道によると、この事故電車の後部車両に乗り合わせていたJR職員は、他の人々が必死の救援活動をしているのを尻目に、現場を離れさっさと自分の職場に出勤してしまった。人間として、信じられない行動だ。いや、人間ではないのかもしれない。

「オーバランなのだ」
5mや6mのオーバランなら、技術が未熟であったということもあろうが、20mとか、100mなどというオーバーランは、明らかに他ごとを考えていたとしか言いようがない。新幹線の運転士が、運転をほったらかしにして、携帯電話で窓に映る風景の写真をとり、女友達に送っていたが、そんなものなのだろう。

日勤に問題があるとすれば、自分は人々の命を預かっているという責任感を植え付けるのに失敗していることだ。心を入れ換えて、いいかげんな運転を慎もうという意識を起こさせるのに失敗し、「あんなことはもういやだ。暴走してでも遅れを取り戻そう」という無責任、利己的な心しか育てなかったようだ。報道するならば、そういう本質を突かなければならない。しかし、それにしても民放のキャスタとかディレクタという人種は4流の頭しか持っていない連中なのだなあ。河合塾方式でいえば、Fランク。

「悲惨な大事故」
死者は107名と報道されているが、まだ病院に意識不明で入院している人々がいる。最終的には110名を越す可能性がある。





98.日本人の忘れ物   2006.1.17 目 次

とにかく読んで頂きたい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ui9k-ikd/C5_1.htm#14

1980年は、昭和60年だ。中曽根首相は田中曽根と揶揄されたくらいだらしなかったものだが。。。はたせるかな。

ウィキペディア

http://www.turkey.jp/2003/info03_2.html

http://www.turkey.jp/2003/info03_5.html

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

普通の医師のホームページ

最近は普通の医師がいなくなって、藪ばかりだ。




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