33.横浜赤レンガの街 (2003.2.1)    目 次

いつできたのだろう、こんな不便なところには滅多に行かないのでわからないが、そんなに古いことではないだろう。偶々伊勢崎町に行ったついでに馬車道を走っていて見つけたものである。正式名は横浜赤レンガ倉庫であるが、実際には倉庫ではない。旧税関の事務所だったと書いてある。こんな立派な作りで、おまけに窓が沢山ある倉庫はおかしいので、それで納得がいった。この写真では、折角の長さが分からない。もっと遠景で撮ったほうがいいと思うのだが、カメラを持っていかなかったので、パンフレットの写真しか見られないのが残念である。実際には、東京駅のように長い。ここに良い写真があった。 redbrick.jpg
中は、きっと広くて、横浜名産などがあって楽しいところだろう、という期待は、叶えられなかった。むしろレストラン街だ。お店は少しあるが、なんというか、いわゆる、土産物点ではなく、石川町の元町の出店という感じである。まあ、普通の駅ビルか地下街に近い。若い女性には面白いのだろう。

建物に入って、まず意外に思うことは、狭いこと。通路が狭いのには閉口する。まるで電車の中のようだ。土曜だったからか、狭い通路は人、人、人でごったがえし落ち着かなかった。場所は、簡単で、JR根岸線、横浜市営地下鉄、関内(かんない)から馬車道を海側にただひたすら歩く。あるいは、横浜スタジアムを右に見て、同じく海に向かってひたすらあるく。徒歩15分。横浜税関の近くである。何しろ、元税関の建物なのだから。

現代を遊ぶコースとしてなら、桜木町(さくらぎちょう)から港未来(みなとみらい)21地区に行き、ランドマークタワ一帯をうろうろしながら、赤レンガに行くほうが、面白いし、楽だと思う。中学生までの子供を楽しませるなら、こちら。桜木町−ランドマークタワーには、動く歩道もあって、多少楽ができるし。でも、中学生以上の子供に教養をつけ、文化の香りと意味を教育するつもり、横浜歴史散策のつもりなら、関内から馬車道近辺コースかな。関内は、横浜の中心だからね

横浜駅は、あんなのはいわゆる横浜じゃない。文化の香りは、何にもない。かって、(今も?)世界一(日本一?)の床面積を誇った横浜そごうを始めとするデパートや、駅ビル、それに駅西には、ゴミゴミした新旧入り混じった猥雑としかいいようがない狭苦しい通りに店がつらなっているが、あんなのは、日本中、駅前/裏ではどこでも見かける光景だ。いわゆる横浜は、歴史の香り、開国したばかりの日本の香りを持つ、日本におけるファッションの発信地としての横浜は、関内から海側にあるいたところ。そこから中華街に抜けて石川町の元町商店街=ここが横浜ファッションの中心地、を歩くコースが、人々がイメージしているいわゆる横浜。

赤レンガに行くには、バスもある。上のHP参照。駐車場はあまり広くないが、こんなところに車で来る人は少ないので、土曜日の昼下がりなのにそこそこ空きはあった。500円/時間。食事をするつもりなら、2時間は見ておいてほうが良い。それに機械の自動精算だから、出口で前に車が何台も順番待ちしていると、1秒差で500円追加になるかもしれない。人間の受け付けと違って、さっきから後ろで待っていたのにおじさんの手際が悪いから少しオーバしたんじゃない。とは、機械に向かっては言えないので、実際のところこの1秒超えはどう扱われるのだろう。5分位のオーバは、余裕を見て、取らずにおくというのが、常識的、良心的仕様だと思うが、実験してみようとも思わないのでわからない。

全体は、凄く広い広場で、その中に2棟、3階建ての東京駅のように細長いレンガ館が立っている。
向こうは海、横浜港。
昔、天地真理が、MP3 ジョイントステレオ/64kbps 143KB

   はじめてよ 二人して 港へと来てみたの
   キラキラと船灯かり 夢見ているみたいに綺麗
        ・・・
   港の通り 歩いて行けば 遠く汽笛がなるわ
                  --恋人達の港

と歌った、

石田あゆみが

   街の明かりがとてもきれいね 横浜
   Blue Light  横浜
   あなたと二人 幸せよ
                 --ブルーライト・横浜

と歌った、あの横浜の港である。近くには、港未来21地区があり、ランドマークタワーが見えているし、山下公園、港の見える丘公園、外人墓地(墓地がなぜロマンティックかという疑問はさておき)などがあり、まあ、ロマンティックではある。ではあるが、アンティークという意味で似たような感じの所では、小樽のオルゴール館 や、ボストンのクインシー・マーケットや、シアトルのパブリック・マーケットの方が、こんなに無茶苦茶、混んで、足の踏み場も無いということは無いので、良い気分だった。でもまあ、一度は話しのタネに行ってみるのも良い。平日の夜、ちょっと軽い夕食にいいかもしれない。

seattle0.jpg   seattle01.jpg  seattle02.jpg
シアトルのパブリック・マーケットの内部。こういう映画のヒロインの実物大看板を売っていた。


旧正月だということで、どんなものかと、ついでに中華街に行った。人、人、人、人、人力車、人力車、人。。。。遅い目の昼食。これは良いとして、1個300円也の肉まんとあんまんのセットをお土産に買ってきたのだが、これが「ヤラズブッタクリ」に高くてまずい。高いというのは、価値にたいする相対的評価だから、買った時点ではわからない。帰って食べてびっくりである。あまりのまずさに辟易。あんまんにいたっては、詐欺的であった。山崎パンの50円か60円のあんまんのほうが遥かに美味しい。肉まんもそうだ、と、家族全員一致。中華街の店は当然、同じ味ではないだろう。店によるのかもしれない。どこかが全店に同じ物を卸しているのなら同じ味だろうが、これは本当のところわからない。少なくとも、以前、買い食いした時は美味しかった。飯盒のご飯が美味しいのと同じで、現地で蒸かしたてを寒い中、フーフー言いながら食べたので美味しかっただけのことか、本当に美味しかったのかは、わからない。それでも言えることは、アンマンは詐欺的にまずく、餡も少ないということである。

大抵の店では店頭に1個300円と書いてあるが、250円のところもある。250円のところが、それだけ悪いということも無いと思う。300円の店で上のようだったのだから。このにくまんの原価は、本来、相当、安いのだろう。200円が100円になっても平気なのではないだろうか。 居候が買った300円の店も変な看板を掛けていた。

にくまん、あんまん
  300円
   
−−−−−−−−−
にくまん、あんまん
  300円
−−−−−−−−−

「−−−−−−−」で囲まれた部分は、看板の上に掛けられた更に別の小さめの看板である。最初、この看板を見たとき、一瞬、意味が分からなかったが、ハタと気づいた。平日は、この上側の小さい看板が、上にずらされてこうなるわけだ。

−−−−−−−−−
にくまん、あんまん
  300円
   
−−−−−−−−−
にくまん、あんまん
  250円

中華街の各店の肉まん評価地図とかいうのを誰か作ってくれないあなあ。と思ったらあるんだね。これによると、★5つ満点で★2つ。★2つはここしかないので、最低ということ。まあ、よりによって中華街最低のところで買ってしまったのですね。不味い訳だ。

そういえば、三浦半島先端の三崎にまぐろまんじゅうという、肉まんの変形のようなものがある。250円とコンビニの肉まんに比べるとだいぶ高めだし、マグロとまんじゅうという組み合わせと聞くだけで下手物っぽく、なんとなく美味しくなさそうなのだが、これが滅法美味しいのだ。我が家では極めて評判が良い。結局、肉もそうなのだが、いかに味付けをするかにかかっているのだ。


34.日本もまだ捨てたものじゃないかな    目 次

2,3日前の読売に、川崎市の中学生が古本屋で万匹し、警察官が連行途中逃走した挙げ句、京浜急行の踏むきりに飛び込んで列車に轢かれて死亡したところ、この本屋の店長に非難を浴びせた悪人ども(新聞は、単に、「人間」としか書いていないが、悪人を擁護する仲間は悪人に決まっている。JRなどは、「お客様が踏み切り内に入り込まれましたので、緊急停車して状況を調べております」などと朝のラッシュアワーなどに間抜けた車内放送をしょっちゅうしているが、私鉄は、こんな馬鹿な表現は使っていない。犯罪者をお客様とは笑わせる世の中になってしまったものだ)がいて、この店長、申し訳無いことをした。古本屋を廃業すると言っていると報道されたが、その後、1000件近くも、「悪は悪」、「毅然とせよ」、「正論を言うのに勇気が要る時代になってしまった」という激励の電話、faxが殺到したそうだ。まだ、日本も捨てたものじゃない。

中学生による犯罪、しかも殺人をも含む犯罪が急増しているのは、悪を悪であると、キチンと躾なかった馬鹿親どもの責任が100%であるが、更に、悪人ども、あるいは悪の素質をもつ連中がグルになって、一般人のような顔をして、FAXや電話という匿名手段で正義に対して攻撃しかけて、悪をのさばらせていることにも原因がある。これに対して、これらの連中が悪人あるいは、その一派なのだと、はっきりと言わないマスコミもどうかしている。

この大手の古本屋のトイレが、こういう万匹連中によって、腹癒せに滅茶苦茶に壊されていることをご存知だろうか?結局、そのツケは、トイレの閉鎖という形で、我々善良な市民に回されているのだ。公立中学生時代、クラスに1、2人必ずこういう連中が居た。下級生を恐喝し、学校前の文房具屋から万匹するということを繰り返していた。親どもも碌でなしだったから、何ともならなかったが、ああいう連中は今ごろ、どうしているのだろう。

首都圏では、一定以上の家庭の子供は、危なくて公立中学などにやれないということになっている。親は、子供達を私立中学に入れるために血眼である。できたら、幼稚園から入れておきたい。でないと、子供達の安全が保てないのだ。無政策なら、悪貨は良貨を駆逐するのである。殺されてしまってから悔やんでも遅い。こんなことは、首都圏以外の人には、理解できないのではないか?大学まで一貫教育の有名幼稚園の回りでは、午後になると、若いお母さんたちが、子供達を迎えに三々五々集まってくる。もちろん、電車通学だからだ。幼稚園児を一人で電車に乗せるわけにはいかない。20年くらい前でさえ、既に、南武線(府中刑務所や、競馬場が沿線にあったりする所謂労務者路線と言われていた。今や、ハイテク路線であるが)は怖くて乗れない。いや、最近は京浜東北線でさえ怖い。いやいや、昔から山手線沿線に住んでいる人は、山手線にも怖くて乗れないといっている。などという会話がされていたが、首都圏の治安は悪くなる一方である。

まあ、上の事件も、記事では、高が中学生に逃走された警察の落ち度に何も言及されていないのもおかしなものだが、手錠をかけたりすると、これまたとやかくいう悪人予備軍が、性質の悪いマスコミや、無知な「所謂知識人」という形で存在しているので警察もへっぴり腰なのだろう。とはいえ、警察の怠慢には目を覆うものがある。そんな中、正義の士がsilent majorityに留まらず、声を出したのには、多少ホッとさせるものがある。神奈川では、NPOであるGuardian Angels(彼等は敢えて訳していないが、敢えて訳せば、守護天使)が最近、目だって活動を始めた。インチキNPOではなく、こういうNPOになら、喜捨する用意がある。しかし、NPOが頑張らないと、治安が守れない警察の存在意義というものは何なんだろう。


35.スペースシャトルはなぜ、ゆっくり降りてこられないのか    目 次

7人もの有為な人材を一瞬で失ったコロンビア号の空中分解の悲報に触れて、科学の力の無さに断腸の想いがする。科学を愛する者として、心からご冥福をお祈り致します。

人類はまだ宇宙船をゆっくりと飛行機のように降ろすだけの力を持っていない。言ってみれば、スペースシャトルは宇宙から時速2万2千Kmで落ちてくるのである。テニスボールに紐を付けて円を描くように振り回してみれば分かるが、紐がピンと張ってくるくる回るにはある一定の速度が必要である。ゆっくりまわそうとすると、紐がたるんで回せない。紐の長さと、回す速さにはある一定の関係がある。

コロンビアが地球の周りを回っていられるためには、これと同じで、ある一定の速度が必要になる。何故なら、軌道に乗ってからのコロンビアは、別にエンジンを吹かして飛んでいるわけではなく、最初に宇宙に飛び出したその速度を保って、地球重力とバランスして軌道を回っているからである。地球重力が紐である。何故、最初に宇宙に飛び出した速度を保っていられるか?自動車のように、エンジンを切れば徐々に止まってしまわないか?宇宙には何の抵抗もないから止まらないのである。スニーカで走って、アスファルトの上を滑っても、10cmも滑らないで止まってしまう。しかし、スケート靴を履いて氷の上を滑れば、かなりの距離を滑ることができる。抵抗がすくないからである。スケートのブレードが氷の上を滑ると、ブレードと氷の間の摩擦で摩擦熱が出て、氷を溶かし、ブレードと氷の間に水ができる。水は流体だから、ブレードはその上を滑るので抵抗がすくないのである。高速道路で雨の中を100Kmで走ると起こるハイドロプレーン現象と同じである。宇宙では、回りにこのような摩擦を起こすものがないから、全然減速せず、止まらないのである。これ、ニュートン力学で最初に習う、知らない者は居ない、慣性の法則である。

ocha.gifお茶ブレイク
宇宙では摩擦がない
というのは、厳密に言えば間違いで、宇宙にもいろいろな物質が飛んでいる。太陽風もそうだし、宇宙塵もあるし、地球近傍の宇宙なら地球から出て行く空気もある。太陽風というのは、陽子(水素の原子核)やアルファ粒子(ヘリウムの原子核)であるから、我々が普通に想っている物質ではなく、その素材である。ただ、これらは恐ろしく希薄だから、ほとんど無視できる。人工衛星が、何年も立つと落ちてくるのは、地球上空の薄い薄い空気の抵抗(摩擦)で減速するからである。


高度と速度にはある簡単な関係があり、速度を上げれば、より高い軌道に移行するし、落とせばより低い軌道に移行する。テニスボールをナイロン紐ではなくゴム紐で結んで回せば体験することができる。速く回せば、ゴムが伸びて、テニスボールはより高い軌道に移る。コロンビアが軌道上に留まっている速度は正確にはしらないが、高度が分かれば、ニュートン力学で簡単に計算できる。地球を公転するために最低必要な第一宇宙速度は7Km/s程度である。地球への再突入速度が時速2万2千Kmと新聞に書いてあるし、毛利さんの話しでは、マッハ16,7辺りとのことだから、秒速6Kmで、やはり時速2万Km程度である。だから、軌道上での速度は、これより速い速度であり、コロンビアはそこまでは減速していた。

そんな速度で、地球を回っているのだから、帰還する時には、少しロケットを逆噴射して速度を落とし、機首をやや下に向けて落ちてくる事になる。ゆっくりと飛行機のようには降りてこられないのである。もし、進行方向に対して物凄い逆噴射を行い速度0になれば、当然垂直に落ちてきてしまう。それを支えるためには今度は下に(地球地軸方向に)逆噴射しなくてはならないが、そんな燃料は持って行っていないので、そんなことはできない。だから、少しだけ減速して、といっても、時速2万Km程度なのであるが、斜めに螺旋を描くようにして落ちてくることになる。

ゆっくり降りてこようとしたら、逆噴射用に、とてつもないエネルギーが必要になる。打ち上げ時に使っている大きな補助燃料タンクがあるが、打ち上げ時にあれだけ燃料を使うのである。地球重力に逆らってロケットを逆噴射で支えてゆっくり降りてくるには、あの規模の燃料が必要になる。そんなものを宇宙に持ってはいけない。それだけの重い燃料を運ぶために打ち上げ時には更に今の何倍もの補助燃料タンクが必要になり、その重さを打ち上げるために更により以上の燃料が必要になるという悪循環になるからだ。

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コロンビアは、別にエンジンを吹かして飛んでいるわけではなく
今の宇宙飛行は、自由自在に飛ぶ回ることはできない。そんなに強力な燃料もエンジンも無いからである。大気中なら空気という存在があるので、これに乗って自在に飛ぶことができる。丁度、水中で人間が自在に泳ぐことができるようなものである。空気の無い宇宙では宇宙船は翼とか舵とかで上下左右には動けない。ロケットの噴射でしか動くことができない。宇宙に出てしまえば無重力だから方向転換や加減速に、大した燃料はいらないが、地球に帰還するときに、地球重力に逆らわなければならず、これが凄い燃料を必要とする。だが、そんな燃料をもっては、重すぎて打ち上げができないので、常に燃料不足で宇宙に飛び出さざるを得ない。

アポロ13号が、地球重力脱出後、すぐに爆発を起こしたのに、Uターンして戻ってこられなかったのは、逆噴射して、宇宙船を止める燃料がなかったからである。月に行くためには地球重力を振り切る第二宇宙速度に達しなければならない。秒速11.2Kmである。これを逆噴射で止めるには相当の燃料が要る。だから、月まで行って、月の重力で方向転換するしか戻ってこれないのである。このように、今の宇宙船は、重力のバランスする軌道を探してはそこに軌道を取りながら辛うじて飛んでいるのである。

何とか下りとかいって、激流の川で船頭が櫓だけでうまく岩にぶつからない水流に乗って船を進ませているがあれに似ている。このバランス点というか線とでも言う軌道は、コンピュータが力学計算することで探している。色々な力がバランスしている、狭い道をコンピュータが瞬時に計算して、その方向に噴射で向かいその目に見えない狭い道に乗ることによって、燃料をほとんど使わずに移動するのである。言ってみればエンジンで飛んでいるので無く、コンピュータで飛んでいるのである。だから、ちょっとでもバランスを崩すと、大きな事故につながる。自力で飛んでいるのではないからだ。

化学燃料では、しかし、これが限界だ。何しろ、液体水素を爆発させて、やっとのことで宇宙に出て行く程度だからだ。もっとエネルギーが凝縮している燃料でないと本格的な宇宙飛行など夢のまた夢。コンピュータで飛んでいるなんて、風に流されているかげろうみたいなものだ。燕みたいに飛ぶためには、核燃料しかないが、まだ、放射能を制圧していない現状では、これも夢のまた夢である。

人類の持つ科学技術と化学技術では、まだ、スペースシャトルは初速2万Kmで落ちてくるより仕方がないのである。といっても垂直に落ちてきては、加速度がついて2万Kmより速くなってしまうから、空気にのって、斜めに落ちてくる。石を水面に浅い角度でたたきつけると、水面で跳ね返って水中に沈まない。スペースシャトルは、空気で跳ね返っては困るが、そうかといって、鋭い角度で突入したら摩擦熱が凄いので燃えてしまう。ある許容された角度で、空気摩擦で少しずつ減速しながら、そして、その減速したエネルギーを1500度というもの凄い摩擦熱に変えながら、地球に帰ってくるのである。エネルギー不滅の法則によれば、エネルギーは形を変えることはあっても、無くならない。だから、速度という運動エネルギーが減れば、それは形を変えて、熱エネルギーにならざるを得ないから1500度にもなってしまうのである。

逆噴射で自重を支えながら速度を十分に落とせない限り、速度を落とす手段は空気との摩擦しかない。長い下り坂を自動車で下るとき、ブレーキで減速しては、そのエネルギは熱に変わりブレーキがバカになり効かなくなるから、エンジンブレーキを使うことはよく知られている。摩擦で減速することは怖いことなのである。空気が十分濃い高度にまで落ちてくると、翼がより有効になるので、飛行機のように空力的に飛行することができる。これには、大した燃料は食わない。

恐らくは、地上での安全管理に、スペースシャトルは落ちて帰還してくるのだということを忘れた手抜かりがあったのだろう。ただただ、7人の宇宙飛行士のご冥福を祈るばかりである。


36.スーパに置いてあるおいしい水    目 次

大手のスーパで無料の水を一種の会員制にして配っている。会員といっても、金500円なりで3.8Lのペットボトルを買うだけである。そうすると、逆浸透膜で濾過した水をタンクからもらってくることができる。この水、エビアンとか、ビッテルなどの所謂ミネラルウォータではないと思う。水道水を逆浸透膜という一種のこしきで濾したもので、塩素や雑菌やゴミが無くなっている。神奈川の水は、これだけで素晴らしく美味しくなる。自宅の台所の水道の蛇口につけるトレビーノのような濾過器(浄水器) の上等なものだと思えば良い。家庭用濾過器は活性炭と中空糸膜の超小さな穴で濾過する。フィルターの値段を調べたら約半年で2900円だから、500円/月。ミネラルウォータよりは圧倒的に安い。ちょっと見なおししないと。

ocha.gifお茶ブレイク
フランスのミネラルウォータは、まあ、お金を出して買う価値がある。というのは、厳しい法制度でその品質が守られているからである。熱で殺菌しているような水は、ミネラルウォータと称すことはできない。熱殺菌しなくても済む、細菌がほとんどいない環境を作って、そこで水を採取しているのである。日本のミネラルウォータは、本当のところ、その水の素性はまったくわからない。そこらへんの田舎町で水道水を濾過してペットボトルに詰めていたとしても、それだけで違法とする法律などないからである。勿論、それで、どこかの山の源流から汲んだ水といっては詐欺になる。まあ、法があってさえ雪印のようなことが起きるお国柄だ。日本のミネラルウォータを飲む位なら、規制が厳しい水道水を家庭用浄水器で濾して飲んだほうが安心で安い。

こういうサイトも勉強になる。
市民のための環境学ガイド書庫


ところで、このスーパの濾過器で作った水は、塩素が取れてなくなっているので、殺菌作用が無い。従って、この水は日保ちしない。何日も保存しては却って害になる。その日の内に使いきるのが安全である。

これ、うまい商法である。客は、ペットボトルを買うだけだから、後は只である。この水を提供しているのは、どうもスーパではなく専門業者である。では、この業者はどこで儲けるのだろうか?おそらくスーパから歩合かなにかで水代をもらっているのだろう。では、水代は結局はスーパが負担しているのか?多分、そうだろう。で、そんなことしてなにが嬉しいのか?この水は、原則1日しかもたないところがミソである。お客は、毎日このスーパへ行くだろう。そうすれば、買い物をする。水だけもらって、買い物は、別のスーパに行くなんて面倒なことは普通の人はしない。うまいことを考えたものである。


37.稲庭うどん   2003.2.11 目 次

秋田名産の饂飩である。何時だったか、秋田駅前の本家か元祖かしらないが、その店で食べて、あまりの美味しさに感動した。讃岐うどんのように出汁がうまいというのではなく、うどんそのものがうまいのである。これ、うどんと称しているが、法的にはソーメンだという。製法がまるでソーメンなのだ。だから、うどんといってもとても細い。手打ちうどんのようにドタッと太いのが味があってすきなので、最初、これをみた時は、冷や麦の親分というか、とにかく普通の饂飩より断面が小ぶりであるのでおいしそうには見えなかった。が、腰があって、すごくうまいのである。。

もっとも、値段も滅茶苦茶に高い。女の子が人差し指と親指で丸を作った程度の束で500円もする。で、その元祖か本家かしらないが、そこの饂飩は、ちょっと変わっていて平たくない。冷や麦のような細い断面である。その断面にはマカロニのように小さな穴が開いているので、これもうまさの秘密だとHPに書いてあるのだが、わざわざ秋田から送ってもらったその冷や麦みたいな稲庭うどんには、穴が開いていない。虫メガネでみてもあいていない。まさか、まがい品ではないと思うのだが、よくわからない。HP用に穴の開いているうどんと、一般にうっているうどんとちがうのだろうか?

で、食べてみたが、まさに冷や麦であって、稲庭うどんのあの腰がなく、全然うまくない。やっぱり、稲庭うどんは平たいふつうのうどん型の方が美味しい。

稲庭うどんは、ものすごく高いが、2mくらいの長さの紐にして、棒につるして乾燥させるので、棒のところで曲がる。その曲がりの部分は、別途、安くうっている。贈り物にするんじゃなければ、これが多少やすい。秋田の駅とか、街のあちこちでお土産に売っている。下記でも買える。

稲庭うどん
稲庭うどん
稲庭うどん
稲庭うどん
稲庭うどん
稲庭うどん



38.バブルは本当に崩壊したのか?   2003.2.16 目 次

NHK TVのトピックスで「バブルが崩壊した」という表現を何度も使っていたが、バブルは本当に崩壊したのであろうか?「崩壊した」という自動詞表現は、バブルが自分で勝手に崩壊したといわんばかりである。そんなバカなことがあるわけがない。誰かが崩壊させたのである。おまけにバブルという表現も本来おかしい。経済は、脈動する。これは常識である。 短期波動のキチンの波(40ヶ月周期)、中期波動のジュグラーの波(10年周期)、長期波動のコンドラチェフの波(50年周期)は良くしられている。その波頭の部分をバブルというのも変な話しであるが、百歩譲ってバブルであるならば、これは、ゆっくり空気を抜き、上図に凋ませていくべきで、針で突つけば破裂するに決まっているではないか。

そして、その波頭を針で突ついて経済構造を壊し、崩壊させたのが、知らぬもののない宮沢首相、橋本蔵相、三重野日銀総裁の三馬鹿トリオなのである。橋本元首相は、それを認めて、あれは失敗だった。だからもう一度総理総裁をやらせて、やりなおさせて欲しいといって小泉現総理総裁と、その地位を争ったのだが、経済のケの字も知らない総理を作って、また失敗されては、自民党が持たないと思った自民党地方組織の票がこれを拒否して小泉首相が生まれたのはよく知られているところである。

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あのバブルといわれていた80年代後半、誰か困っていた人があったであろうか?今のように、ホームレスや失業者が大量に生産され、毎日にように、JRに飛びこみ自殺をして、JRを止め、春闘は、賃上げどころか、雇用確保の為に賃下げがどうどうと叫ばれるいるという状況があったであろうか。

80年代後半に起きていたいわゆるバブルとは、これらの事に比べれば、一時期、不動産の価格が上がって、首都圏で家が持ちにくくなった程度のことにすぎない。むしろ、皆、陽気に元気であった。見かけ上の手持ちの財が増えたからである。これはバブルではない。経済の通常の機能である。社会の実際の財が急に増えたわけではない。逆に、今も、その実際の財があのころより大幅に減ったわけでもない。景気とは、財の回転なのである。その実際の量ではない。その回転を急ブレーキというより、全力走行している車のギアをバックに入れて止め、その挙げ句、ギアやエンジンまでも壊してしまったのが今起きている状況なのである。もう一度、回転させようとしても、経済システムが壊れているので、容易なことでは回転できないことは理解できるだろう。ゆっくり、ブレーキだけで回転を遅くしたのであれば、再発進できるのであるが。

今、世間で起きていることは、上に書いたように「家を持てない」などという贅沢なことではない。生活が成り立たなくて、自殺まで横行しているのである。人間として最低限の、憲法が保証する生活条件(第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)が確保されなくなっているのである。このような状況を起こした責任者が、大きな顔をしている社会が健全な社会でないことは明らかである。


宮沢の爺さんは、もうさっさと引退すべきなのだが、何の責任も感じていないのか、多分、自分のやったことの意味を理解していないらしく、相変わらず寝ぼけたことを言って、経済政策に嘴を入れている。三重野爺さんは、官僚だけあって、さすがに大人しくしている。彼が、インフレファイタとして世界金融界からは高い評価を受けているのはあまり知られていない。しかし、日銀がインフレファイタになるのは、太陽が東から上がる以上に当然の条件反射で、かれらは、何も考えず、いかなる経済状況にあろうとも、インフレ反対を唱える壊れたCDにすぎない。悪性デフレの真っ只中にあろうとも、インフレを恐れ、けっしてインフレのイの字も言わない、脳なしにすぎないのである。速水日銀総裁などは、その典型で、老害を振りまいているが、やっと、任期が終わる。まあ、彼一人が終わったところで、日銀というぬるま湯環境につかって、居眠りしながら育って来た理事ばかりでは、日銀は何も変わりはしないが。

分からないのは、熱が45度もでて、今にも死にそうな患者に、アスピリンを飲まそうとすると、そんなものを飲ましては、熱が下がりすぎるかもしれない。だから、飲まさないほうが良い。ほっておけば、熱で死ぬかもしれないが、でも、下がりすぎては困る、という手の、わけの分からない論理とも言えない論理を振り回す似非というか、能がないというか連中が経済政策に関わってしまっていることである。この連中、結局、患者が熱で死んでしまっても、口をぬぐって決して責任を取らないし、もっとおかしなことに、責任を問われないのである。日本というところは、グローバルスタンダード=世界の常識の通じない、大いなる村社会のままの、奇妙な国である。


39.歴史学の勧め   2003.2.16 目 次

ワインの話しを読んでいると、ボルドー;Bordeauxとは、「ボール・ド・オー;bord d'eaux;水の端」が語源で、アキテーヌ;Aquitaine(aquは「水」を意味する。日本語の「閼伽;アク」も語源を同じくしている)地方の一地域であるとか。このアキテーヌ地方は、一時イギリスの領土だったとか、このイギリス王は、フランス貴族だったとか。現在の「国家」の概念で考えると、何がなんだか分からないというか、奇妙なことに聞こえる。

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閼伽

閼伽水ともいう。仏教用語である。「あかみず」と言ってもおばあちゃんしかもう知らないかもしれない。凄い、日本語と、ラテン語は同族?って思わないように。仏教はインド発祥である。インドは、インド・ヨーロッパ語族に属するサンスクリット語をもっている。これは、ラテン語など、ヨーロッパ語族と同系である。そのサンスクリット語の仏典から、日本語に入ってきた語である。


ヨーロッパ史って、高校の世界史でも、表面をなぞって、王朝の名前を覚える位で、本当のところ、国家の形成がどのようになっているのかさっぱり分からない。例えば、素朴に、ドイツはゲルマン民族、フランスはラテン民族、イギリスはアングロサクソン民族というが、そんなに単純であるわけがない。ゲルマン民族の大移動とかいうと、ローマ帝国にある日ある時、ドドーと怒涛のごとく侵入していって、西ローマ帝国を滅ぼしてしまったような印象があるが、そんなに単純なものではない。

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イギリス王朝

デーン朝
ノルマン朝
プランタジネット朝
ランカスター朝
ヨーク朝
テューダー朝
スチュアート朝
復興スチュアート朝
ハノーヴァー朝
サクス=コバーグ=ゴータ朝
ウィンザー朝

この王朝の交代が何によるものなのかがさっぱり分からない。この交代には、親族による相続争い争いもあれば、全然違う民族の侵入による交代もあるが、中国の歴史ほど詳しく習った覚えがない。中国では、例えば、隋が唐になったりしても、漢民族王朝の国に代わりはない。しかし、宋が、元になった時、元はモンゴル人という異民族であり、この時、中国は、異民族に侵入・征服されていたのであり、明で再度、漢民族が国を取り返し、その明は満州族による清に奪われている。と、良く分かっているが、上記の王朝は、どれがイギリス人の王朝で、どれが、征服王朝か言える人は少ないだろう。もっとも、イギリス人という概念にも問題が大いにある。ゲルマン人とかラテン人という意味でのイギリス人はいないからである。イギリス人は、アングロ・サクソンと大雑把にはいえるが、これはアングル族とサクソン族というゲルマン族の一派の総称である。


フランスの起源は、フランク王国だという。そして、フランク王国というのは、ラテン人の国である西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人の国だときくと、じゃあ、フランスって、ゲルマン民族の国?エエッ??それじゃ、ドイツと同じ?でも、フランス人って、ラテン民族だし、フランス語って、ラテン語直系だよ?と疑問が泉のように湧いてくる。

フランク王国
 メロヴィング朝
 カロリング朝
フランク王国分裂
 西フランク王国(フランスのおこり)
 東フランク王国(ドイツのおこり)
 イタリア王国
の3国

これがフランク王国の生涯で、今の西ヨーロッパの中心はフランク王国だった。 メロヴィング朝とカロリング朝とは、同じフランク王国とはいっても、直接の血縁ではない。メロヴィングを天皇家とすれば、カロリングは、まあ、藤原氏みたいなものだ。それが、王朝を奪ったわけだが、これにしても、大化の改新みたいにアッと言う間の事件ではなく、何代にも渡って、権力闘争しながらの奪取である。

で、結局、分裂して今のフランスに相当する地域というものができるが、だからと言って、そこにフランスという統一された強力な国家ができたわけではない。大体、王様は相変わらずカロリングの王様だからラテンではない。その後、パリ伯カペーが王位に就いたが、この家はラテンなのか?ゲルマンなのか?これ、資料あるのだろうか?そもそも、混血しているだろうから、こんなことは意味がないのだろう。何故かというと、フランク王国が西ローマ帝国を滅ぼしたといっても、ガリア地方はローマ人ばかり。単なる民衆だけじゃなく貴族が沢山居る。

このころ、ローマは腐敗しきっていたから、貴族は、日本の感覚で言えば自分の領国=荘園であるガリアに来てしまっていた。そこへゲルマンが侵入してきたといっても、100年もかかってのこと。おまけに侵略したからといって、全ローマ人虐殺などというわけには行かない。混在にすぎない。だから、同じ町をその辺りに住んでいるローマ人はラテン語でコローニュというし、同じくゲルマン人はケルンとよんだ。余談だが、オーデコロン;eau de Cologne(オー・ド・コローニュ)とは、「コローニュの水」である。Cologneとは英語でいえばcolonyで植民地である。この町は、ローマ時代のローマの植民地であった。日本の語感とちがって、この地の人々にとっては、ローマの植民地であったということは、誇りなのである。同じようなことは、ジュネーブのレマン湖畔の地域にもある。多分、ヨーロッパのあちこちにあるにちがいない。植民地であったことを誇っているのである。蛮族の地にローマが来てローマの文化をそこに移植した。だから、そこだけ、回りと違って凄く文化的なハイカラな町になった。それは誇りなのである。江戸末期から明治初期の横浜みたいなものだ。おかげで、今も横浜は日本のファッションの発信地であり、神奈川は、日本人の最も住んでみたい県になっている。

第二次世界大戦後、米国は日本を占領したが、日本は別に日本のままであった。元が中国に侵入してもそうである。むしろ、現地人を雇って高級官僚として使うことが起きる。まして、野蛮ではないにしろ、ローマの文化の高さと洗練には程遠いフランク族の文化では、文化的にはローマに従属せざるをえない。だから、ガリアの地はローマ貴族とローマの一般民衆、それに侵入したフランクのゲルマンの混在になる。今のフランスがラテンかゲルマンかというと、征服民族と被征服の人口の違いが出ているという意味ではラテンではなかろうか。ラテンを主体にしてゲルマンのスパイスが効いている国なのだ。フランス語にしても、親言語であるラテン語からの距離が同じロマンス語族のスペインより相当大きいと思うし、フランス文化は、スペインやイタリアのよりラテン的な国ほどいい加減ではなく、理屈っぽく、厳しい契約の概念があり、ゲルマンの香りが強い。

国が何民族の国かということ自体、王家が何民族ということでいうのか、その地域の住民が何民族ということでいうのか、清の時代の中国は、何であったのかにあまり不思議は感じないが、遠いヨーロッパの事情となると、頭が混乱して気持ちが悪い。フランク王国がゲルマンの王国だという表現が悪いので、ゲルマンの王家にすぎない。いまのフランスにあたるガリア地方には、最初ケルト民族がすんでいたのだが、シーザにブリテンに追われ、西ローマ時代にはローマ人が済んでいたのだろう。つまりラテン民族が多い。そこへフランク王国というゲルマン民族の王朝ができた。それだけのことにすぎない。

西フランクは、フランスの赤ん坊時代みたいな存在だが、それでも統一国家には程遠い。つまり、戦国時代の日本のようなものであり、将軍が日本を治めているはずなのだが、何の力もなく、織田信長や、武田信玄など地方領主が実権を握っているようなものだ。そう思えばなんの不思議もない。日本は、この頃のフランスより複雑で、将軍の上に天皇がおわす。将軍は幕府を開いて天皇から統治の実権を奪ったはずなのだが、それがいつのまにか有名無実な権力になっている。

フランス王より力があるフランス貴族ノルマンディー候がイギリスに渡りイギリスの王権を奪って王様になった。イギリスの王様はフランスの貴族にすぎない。子会社の社長は、親会社の部長と同じで、フランスのほうが大きな偉い国なのだ。。。。と、いうことではない。単に、フランスは国の体をなしていなかっただけのことである。その貴族が、王を無視できていたということにすぎない。

イギリスの王様が、フランス貴族の娘をお嫁さんにした。そのお嫁さんはフランスに領地をもっていたので、その領地はイギリスのものということになる。その地方がアキテーヌで、したがってそこに含まれるボルドーはイギリス領であり、そこで産するワインはイギリスのものである。フランスから輸入していたワインが、なんと自国のものになってしまった。今の国家で考えると変な感じを受けるが、平安から江戸までの時代を考えれば、似たようなものである。

江戸時代だって、日本という一つの国ではなく、尾張とか美濃とか紀州とかの多くの公国と江戸幕府という中央政府があった。その大統領は将軍である。今の米国みたいなものだ。いい加減な比喩ではあるが。外人からみると訳がわからなくなるのは、更に、天皇と朝廷があることだったろう。まあ、幕府というのは、夷敵を征服に出ている派遣軍の大将(征夷大将軍)が、天皇から現地の統治を臨時に委託されている軍政府(幕は、幕僚と同じ用法。軍の中枢)であるという形式だから、それがわかれば、正統な統治者は天皇であると理解できるのだが、他国の事情というのは分かりにくいものだ。


40.ハードディスク・レコーダ(HDD&DVD レコーダ)を買う前の予備知識   2003.2.22 目 次

最近、HDD(エイチディーディー)レコーダが大容量で、かつ、安くなってきた。10GB(じゅうギガバイト)などという頃は、何するのだろうと思っていたが、100GBを越えてくると、使える気がする。HDDとは、Hard Disk Drive。PCを知らない人には説明しにくいが、要するに、プラスチックのCDの代わりに金属の円盤(Disk)を使う。CDのように交換できない代わりに大容量で、書き込み/読み出し操作が極めて楽で速い、という優れものなのである。CDは650MB(メガバイト)、HDDは、100GB = 100000MB 以上。下記のDVDxxは、一般には、4.7GB程度。

だから、今までのようにテレビをつけたら、面白い番組をやっていた。あわてて、空きテープを探しても無い。仕方ないので、半分使ってあるテープの頭出しをやっているうちに良い場面が終わってしまった、ということがない。象徴的に言えば、ボタン1発ですぐ録画に入る。頭出しなど考える必要はない。自動である。録画という面倒な操作から開放された。

ただ、まだ容量的には問題がある。Mpeg2(エムペグツー)という映像圧縮規格では、従来のテレビと同じ程度の画像品質なら、1時間分の録画に2GB。100GBのHDDでも、50時間分しか録画できない。で、VTR程度に映像品質を落として、100時間くらいにしている(TVとVTRは、同じ品質ではない。VTRは、TVより、相当品質を落としている;なお、SkyPerfecTVはVTR並みMepg2)。テープやCD-R(シーディーアール)のように交換はできないから、100時間録画したらこれで終わりである。更に録画するためには、以前のものは消さなければならない。VTRと同じで上書きである。

それで、HDDに録画したものを別のメディア、つまり書き込み可能で交換できるDVD(ディーブイディー)などにコピーして保存しなければならないので、大抵のHDDレコーダは、そう言うものと一体になっている。それで、HDD&DVDレコーダとかになっている。書き込み可能DVDは、DVD-R、DVD-RAM、DVD-RW、DVD+R、DVD+RWなどがあり、訳がわからないだろう。Rは、書きこんだものは消せない。つまり、VTRテープのように使いまわしはできない。だけれど、今やメディア1枚は、2〜5時間分100円くらい。非常に安いし、テープだって、いちいち消して使いまわすなんてケチな使い方は、20年前ならいざしらず、今ではやっていないだろう。テープのように嵩張ることもないのだから、Rで良い。RWは1000回位、消したり書いたりできる。1枚のDVDを1000回も書き消しする人って、どういう人か分からないが、まあ、無用の長物である。

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DVD

DVDは、東芝と米国の映画会社タイムワーナが共同で企画・開発した映画用ディスクであった。それで、Digital Video Diskの略語とされた。その後、ちょうど、フィリップスとソニーが開発した音楽用CDがコンピュータの記憶媒体にも利用されて、CD-ROM規格ができたように、DVDもコンピュータに用いられ始めた。つまり映画(映像)だけではなくなったので、Video(映像)がVersatile(多目的用;何でも用)とされた。つまり、Digital Versatile Diskとされたのであるが、最終的には、もう何の省略でもない、DVDは、DVDだと言う事にされた。つまり、DVDという新しい言葉であって、何かの省略ではないということにされたのである。

という記憶があるので、ちょっとWebを調べたが、殆ど、いい加減なサイトばかりであった。Webでは、いい加減な情報が溢れかえっている。「インターネット用語辞典」などと書いてあると、「辞典/事典」などの権威に弱い日本人としては信用したくなってしまうが、これが4流技術者が滅茶苦茶書いていたりする。そのサイトが、ASCII、INFOseek、Yahooなど一応の信用あるところでないと、ダメなんだね。まあ、それでさえ怪しげな解説だが。

それで、本家のDVDフォーラムを調べたが、見つけられなかった。もう、そんなことは、どうでも良いということなのだろう。ここにあった。やはりDVDはDVDなのだ。

その他;
  色々なCD/DVD規格の説明

  DVDのFAQ(良くある質問)


−と+の違いは、普通の人にはわからない。「−」は本来ハイフンで、単に2つの単語の切れ目を示すものでしかなかったのに、これをわざわざマイナスと呼んで、「+」という規格を作ったのだろう。アホなメーカの意地、しかも生産的な意地とは思えない、片意地の結果、色々な規格ができてしまったと思えば良い。VTRのベータとVHSの違いみたいなものだ。おかげで、メディアの交換が面倒になっている。僕のDVD-Rを、他の人に渡しても見られないことがある。ベータとVHSのように大きさが違うからプレーヤに入らないというわけではない。見た目は同じなのにね。幸い、プレーヤ/レコーダが、全規格対応になりつつあるから、そのうち気にならなくなるだろう。その意味では、まだ買うのは早いかもしれないが、友達と、自分のビデオを常時、交換するなんて趣味のある人でなければ、問題なし。HDDは便利の一言につきる。まだ持っていない居候の欲しいもの第一水準である。

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ベータ(β)とVHS

居候はβが圧倒的に好きであった。カセットは小ぶりで扱いが楽である。VHSのように、気をつけていれないと、わずかに斜めに入ってしまうので、うまくセットできず出てきてしまうということがない。VHSの最悪な仕様は、むやみに大きいことである。おかげで、百巻以上あるというテープの置き場にも困る。

ビデオテープには、3つの目的がある。

 1.タイムシフト、つまり昼間の番組を録画しておいて、夜見るなど。
 2.レンタルビデオで映画を見る。
 3.映像の保存。

βは、2の目的を軽くみて負けてしまったのである。VHSは、ヨーロッパで、この目的で普及し、それが日本に逆輸入され、βを一掃してしまったのである。ちょっとした、盲点であった。


HDDレコーダの長所;
 ・録画が楽;ボタン1発(本当は、電源→チャネル→録画など数発)
 ・再生も楽;100時間分はHDDにおけるのだから、繰り返し見る番組は
       HDDに置きっぱなしにすればいい。頭だしが不要。一発で再生
       この頭だし不要の便利さは、使ってない人には分からないだろう。
 ・保存メディアがDVDで嵩張らない:ダイソー等100円ショップに行けば、40枚くらい入る
       タータンチェックで綺麗なカバン型の入れ物が置いてある所がある。
 ・操作が速い;テープはイラついたものだ。

短所;
 ・HDDは壊れやすい;消耗品である、と言う事になっている。
     居候の何十台というPCのHDDは、10年程度壊れたことがないけどね。

 ・100〜200時間しか保存できない。一時保存なので、問題ないかな。
        永久保存版は、必ず、いつかDVDに保存する必要がある。
        しかも、数年に一度新たなDVDに保存しなおさなければ、古いDVD
        は読めなくなることがある。VTRでは、テープがボロボロになったり、
        ケースが割れたりしなければ、映像品質が落ちる程度で、読めるが
        デジタル技術のDVDでは、ちょっとした傷でも、何も見えなくなる。
        自然劣化もするし、日光にも弱い。大切なものは2,3枚コピーする。



41.マジックと超能力と   2003.2.22 目 次

最近、またマジックがテレビではやり出してきた。マジックほど人間心理の機微をついた技はない。一見、不可思議で、不可能な事象を見せてくれる。一番簡単なものは、机の上に、ライターと、煙草と、灰皿と、ボールペンと、ペーパカッタを並べて、どれでも良いから好きなものを選んでくれという。灰皿を選んだとしよう。そうすると、あなたがそれを選ぶことは分かっていた。それはすでに予言してある。その花瓶をあげてごらんなさい。と言われて持ち上げると、なにやら紙切れがある。そこに、「あなたは、灰皿を選ぶ」と書いてあるというわけだ。

こういう心理トリックは、また一際不思議に思える。舞台で消えたマジシャンが、殆どすぐに会場の後ろから現れる。舞台から消えた時点、現れた時点、会場の後ろまで全力疾走する時間を計算すると、ジェット機にでも乗らないと無理だと思う。それでも、普通の人間なら、超能力で瞬間移動したなどとは思わず、不思議ではあっても、まあ、なにかトリックさ、で終わってしまう。しかし、自分でさえ、何を選ぼうか迷っていた選択を、当てられると、不思議さは何倍にも増す。

これは、実は、最高に簡単なトリックである。マジシャンは、あなたが何を選ぶか予言してあると、あなたが何かを選ぶ前に言ってはいない。そして、その予言を書いた紙がどこにあるかを告げたのは、あなたが何かを選んだ後であり、あなたが選ぶ前ではない。ここに優れて心理的トリックが隠されているのである。もう分かった?5種のものの全てを書いた紙をあらかじめ用意して、5箇所に隠してあるわけだ。それで、あなたが灰皿を選べば、花瓶を持ち上げてごらんといえばいいし、煙草を選べば、マガジンラックの下を見てごらんといえば良い。ライターなら、本箱の上を見てごらんというわけだ。だから、最初から、「この5つから何かを選んでください。あなたが何を選ぶかは、この紙に書いてあります」とは言えないわけだ。

このマジックなどは、心理マジックだから、何の訓練も練習もいらない。ちょっとした話術は、まあ、必要だ。心理マジックは一種の催眠術みたいなもので、話術が不思議さを倍増する。とはいえ、この程度のマジックでは、金はとれないので、当然、、最初から、「この5つから何かを選んでください。あなたが何を選ぶかは、この紙に書いてあります」とは言える方法も開発されている。そんなのは、こんなところで、種明かしはできない。ひとつ言えることは、この種のマジックは心理操作だけでなく、手練を必要とする。ここに書いてあるという紙をうまく操作してすりかえるのであるが、すり替えていると分かるようではお話しにならない。触ってさえいないと錯覚させる心理トリックとの組み合わせになる。

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この程度のマジックでは、金はとれない

実際には、結構プロがやっている。つい先日も、これ、Mr.マリックがやっていた。「人間まぐろ」とかなんとかいうドタバタ劇にしたてていたから、あの番組とこの一文を読んでも気がつかないかもしれない。彼のマジックもこういう基本的なものが多い。話術で持たせているわけだ。あの男も、「超魔術」などといういかがわしい名前をつけているが、なんのことはないものが多い。一時、調子にのって、助手役のゲストの手に火傷を追わせることが分かっているマジックを平気でやるような酷いことをして、同じマジシャン仲間から、他人を傷つけるようなものはマジックではないと非難されていた。それでかどうか、テレビでは干されていたようだが、最近、少しだけまじめになって、また出てきた。あの頃は--10年以上前かな--、何とか言う今でも売れっ子の爺さんアナウンサがサクラをやっていたから、ほとんど何でもありの不思議を現出できた。そりゃそうだ。種が無いことの証人になっているアナウンサが、種が見えているのに、ほう、不思議ですねえ、とやっているんだから。


先の、マジシャンが消えるマジックは、時間差攻撃だ、まだ舞台にいると思わせているが、既に、床下の通路をマジシャンは全力疾走しているのだ。ラスベガスのミラージュでジークフリート&ロイ;SIEGFRIED & ROYのショーを見たとき、S席とでも言える最高の場所であった。そこで、舞台からロイが消えた、その瞬間なんと、居候の足元から飛び出してきて、握手をして舞台に帰っていったのである。これには、驚いたが、不思議さは感じなかった。ただ、どの時点で実は、消えたのだろうと、それだけが気になったが、わからなかった。時間は戻せないからである。これもマジックの鉄則で、同じマジックは2度は繰り返せない。今度は、何時、本当に消えるのか全神経を集中して見られているから、消えるに消えられないからである。

ジークフリート&ロイ1
ジークフリート&ロイ2

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ラスベガス

日本の相撲の桝席のように飲み食いしながら見る。従って、日本の卒業式の椅子のように全員前向きということはなく、4,5人掛けのゆったりとカーブしたコの字型で、真ん中にテーブルがある。この形で、階段形式だから、足元から飛び出してこられるスペースと仕掛けが作れるのである。


この時間差トリックは、色々な形で使われる。不思議なことが起きたときには、もうとっくの昔に、その為の準備をしてあったわけである。今、右の掌の中に持っている100円玉を消すために、ポケットから魔法の粉を振り掛けます、といって、左の手をポケットにいれて粉を取り出す真似をする。そして、その粉を100円玉を握っているはずの右手に振り掛ける。おもむろに右手を開くと、100円玉は消えている。勿論、左手も開いてみせる。しかし、消えたのは、右手を開いた時ではない。粉を振りかけたときでもない。もっと前、右手に握っていると見せた時に、実は、既に左手に移っていたのだ。この位は、何でもなくできる。でも、最後に両手を開いて見せたぜ、と思った人、一つ見逃していますね。魔法の粉を取り出したとき、左手をポケットにいれているでしょ。粉を取り出すのは、実は100円玉をポケットに入れるための心理トリックだったのだ。

マジックでは、要らない事をすると、怪しまれるので、合理的な説明をして、要るようにみせかけて、実は要らない事をする。魔法の粉なんて、本当は要らないことでしょ。でも、合理的説明に思えて、これが種だとはなかなか見破れない。何かを確認させることを2回もするのは、確認させていると見せかけて、種を仕込んでいるのである。

昔、ユリゲラーとかいう2流マジシャンをアホなマスコミが、大衆--まあ、ダマされるようなアホは幸いなことに数少ないが--をごまかして超能力者に仕立て上げていたが、あんなのは実に2流のマジシャンで、本物のマジシャンは超能力などと詐欺をしなくてもその話術と、手練で見事な不可思議を現出させる。面白いのは、こういうものに合理的な批判精神をもてず、引き込まれて信じてしまう人間は跡を断たないが、これは、教育程度の高さ--合理的精神をもっているということではない。単に知識を記憶しているだけ--に関係しないことだ。単なる見かけ上の不可思議な現象にたいして、合理的説明を見出そうとしないで、神秘主義に走って信じてしまうのは、教育の高さとは関係なく、その人間の持つ本性らしい。東大、京大といえば、知性高く、こんなインチキに引っかかりはしないだろうと、大方の人間は思うものだが、そうではない。工学部、法学部というような論理的思考の牙城のようなところに属する人間が結構コロリとだまされている。まあ、そういう連中が、工学部、法学部に進んだのは、そこが金になるからで、本質的に合理的知性を備えている人間ではないからなのだが。

ナポレオンズが面白いマジックをしている。これは種明かしをしているのだが、それが無かったら、普通の人には解決されない、本当に不思議なマジックなのだ。そして、これが、マジックと、詐欺超能力の粋、頂点でもある。こんなものだ。

机の上に、缶のコーヒーと緑茶と紅茶を置いておく。客席からだれか女性に一人出てもらう。そして、スーパでもらう大きな茶色の紙袋を渡して、そこに3つの缶のどれでもいいから一ついれてくれと頼む。そこで何を入れたか当てるというのだ。

既に、別の同じ紙袋にそれを予言してこれからあなたが選ぶであろう缶を入れてあるという。どの缶を袋に入れるか、見えないようにそのテーブル缶の前に少し大きめ100cmx50cmくらいのコの字型のついたてを置く。観客からもナポレオンズからも女性が何を選んで袋に入れたかは見えない。で、女性は、舞台の前、ナポレオンズのいる場所まで来る。

ここからが演出がうまいのだが、袋から同時に缶を出そうというのである。で、女性が缶を出す。その缶の頭が瞬間見えた時、ナポレオンズは、自分が出そうとしていた缶を袋に一瞬もどして、別の缶を袋の中ですりかえたようなしぐさを見せる。勿論、演出である。観客は、ナポレオンズが、袋の中に3種の缶を持っていて、女性が取り出すその一瞬、缶の色を盗み見て、正しい缶に取り替えたと思うだろう。それが、演出で、マジックはそんな危ない橋は渡らない。で、女性の缶と、ナポレオンズの取り出した缶とは同じもので、予言は当たったのだが、観客は納得しない。そこでナポレオンズは、おもむろに袋の中缶を全て取り出す。3個あり、3個とも同じ、女性が選んだ缶なのである。

これは冒頭に挙げた予言とは違い、あらかじめ、ここに予言してあると宣言してある。実に不思議である。論理的説明は不可能に見える。そこで種が明かされる。「マーケットリサーチをした結果、若い女性の80%は、コーヒ、緑茶、紅茶の中から紅茶を選ぶことが分かった」というのである。勿論、嘘であるが、説得力はある。説明は続く、「しかし、まだ20%の不安が残る。」そりゃそうだ。これでは金をとれるマジックにはなれない。「そこで、我々は考えました」といいながら、女性が缶を選ぶのを隠したついたての裏を見せる。そこには、「お願いだから紅茶を選んでね」と書いてあったのだ。ここで、なんだと思ったあなた、まだ甘い。「それでも、10%くらいは、私、やっぱり緑茶が良いという女性もいるかもしれない。その不安が残る。そこで我々はこうしました」といって、緑茶の缶を持ち上げると、それは、机に張りついていて持ちあがらないのである。

このセリフを実におもしろおかしく言うのである。実に巧みな話術である。ナポレオンズコンビは黄金コンビであると思う。ここに全てのマジックと超能力の粋が凝縮されている。マジックに、サクラを使うのはインチキだと思ってはいけない。もともとインチキなのだから、何でも有りである。

新書版の780円のマジックの本を読んでも、あまり心理トリックのような高等技術は書かれていない。ちょっとした、手技がかいてあるだけだが、5000円もだせば、なかなか驚くようなマジックの技術が書かれている。しかし、まあ、マジックのタネなんてしらないほうが幸せである。例えば、100円ショップにでも行って、まずマジックを演じているVTRを100円也で買ってくる。それを見ると、本当に不思議で感心する。そのなかで気に入ったマジックを、これまた100円で買ってきて種明かしを見る。ガッカリすること請け合いである。こんなアホらしい仕掛けにごまかされていたのかと。いや、本当にがっかりするよ。夢が一切合財なくなると言っても過言ではない。もう1週間くらい何もしたくなくなるくらいの落胆だ。保証してもいい。Mr.マリックやユリ・ゲラーにダマされていた自分が情けなくて、華厳の滝から、人生不可解と身を投げて死にたくなるくらいのものだ。

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人生不可解と身を投げて死にたくなる

巌頭之感
藤村操の遺書
1903年5月22日、数え年十八歳の旧制一高生、藤村操が日光、華厳の滝から身を投げた際の遺言にこう書かれてあった;

「悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”我この恨を懐て煩悶終に死を決す。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。」

これ、どう読むんだろう。100年前の高校生は力があったものだ;自信はないが、読んでみよう;

ゆうゆうなるかなてんじょう、りょうりょうなるかなこきん、ごせきのしょうくをもってこのだいを はからむとす、ホレーショのてつがくついになんらのオーソリチーをあたいするものぞ、ばんゆうのしんそうはただひとことにしてつくす、いわく”ふかかい”われこのうらみをいだきてはんもん(、)ついにしをけっす。すでにがんとうにたつにおよんで、きょうちゅうなんらのふあんあるなし、はじめてしる、おおいなるひかんはおおいなるらっかんにいっちするを。


そう言えば、街頭で、紙製の20cmくらいの人形を、一人で飛び跳ねさせている芸をして、その人形セットを売っている香具師(外国人だったり、若い女性だったり)がいる。紙製の人形って、立体的なものじゃない。ボール紙を切って、色をつけただけのもので、そこらへんの2,3年の小学生だって最近はこんなものは作らないぞと言いたくなる程度のものだが、これが一人でピョンピョンと飛び跳ねているので、珍しがって人垣ができている。こんなものを何故不思議がるのか分からないが、高が紙切れが一人で動くわけがない。誰が考えても、糸が張ってあると分かりそうなものだ。

ポイントは、人形がピョンピョンはねている間、この香具師は決してじっとしてはいないことだ。広げたカバンの中のものをあちらに持って行ったり、こちらへ移したりして必ず動いている。そりゃそうだ。糸で人形を操っているのだから、じっと寝ていては動かない。かといって、釣りをしているときのように手先をピョンピョンしていたのでは、どんなに鈍い人間でも10分も見ていれば怪しいと気がつく。それで、要らんことを、要ることのような振りをしてやっているわけである。広げた店を整理している分には、その動きを無意味なことで怪しいとは、普通の人は思わない。なお、この見えない糸は結構高くて、1000円近くする。どこのマジック道具店にも、必ずおいてある定番ものだ。こんな人形を大枚500円か1000円だして買ってしまったら、家に帰っていそいそと袋から取り出してみた途端、がっかりして、とてもやってみようと言う気にならないだろう。ベッドの下に放り出して終わりである。マジックとはそういうものだ。

チャイナリングという直径10〜20cmくらいの鉄の輪を4、5本、つなげたり、外したり、なんであんなことが出来るのかと思う、実に不思議なマジックがある。上の人形などは、糸以外方法がないから、たとえ糸が見えなくても合理的推論の結果タネはすぐ分かる。しかし、チャイナリングは、一般にはタネが推測できない。だから不思議なのだ。実は、始めから全部繋がっていない、実は全部最初から繋がったまま、のいずれでもないのである。居候も、昔、こればかりは本気で不思議に感じ、仕方ないから2000円出して買ってみた。タネをみたら、まあ、余りに見事な仕掛けに驚嘆した。こればっかりはガッカリしなかった。マジックの本質が分かるというものだ。これはmisdirectionと言われる技を極めて有効に使っている。misdirectionとは、ミス・ダイレクション、つまり誤った方向に導くというもので、マジックの本質である。錯覚させると言ってもいい。要するに心理操作だ。良く、右手で演じているときは、左手が怪しいからそちらを見ろと言われるが、実にその通りのことをしている下手なマジシャンもいるが、普通はそんなに単純ではない。だが、基本は、やはりこれは正しくて、このことをmis-directionというのである。

簡単なものは、こんなところから;
胡麻のマジック入門



42.著作権切れの書籍による電子図書館   2003.3.2  
目 次

著作権切れの書籍による電子図書館というものがある。古典に浸るものいいものである。




43.電車事故で考えること    目 次

2003.3.27の朝8時頃、小田急の厚木付近の踏み切りで電車の下敷きになった乗用車がいた。どういう運転をしたらそういう状態になるか、まともな人間には理解できないのでそのことはひとまずおいておいて、これに対する小田急の対応がまことに馬鹿げているのである。

町田の駅200m前で電車を止めたまま、20分以上も何も手をうたずにいる。乗客が事情を知っていて尚自らの意思で電車にのったまま、駅を出た200mのところで電車が止まるのなら、覚悟の上だから我慢できる。しかし、200m手前で20数分もの間、先発電車がまだホームにいて、動かないから待ってくれというのはまったく納得がいかない。おまけに、町田の駅は島プラットホームで2列車が止まれるのである。先発電車を空にするか、乗客に状況を話した上で、ホームの200m先に出せばいいのである。そうすれば、ホーム直前にいる電車をホームに入れられる。そのまま乗りつづけるか、降りてしまうかは、それほど重篤な事故でなければ乗客に任せればいい。そんな簡単な小学生でも考えられる対応を町田駅長がとれないことがまったく不思議でならない。もっとも、そんな権限は、新宿かどこかの運行管理本部みたいなところにしかないのかもしれない。で、そこの責任者が韓国の地下鉄の駅員みたいな無責任な連中なのかもしれないのだが。

その上、車内は春の陽気でサウナ状態。たまりかねた乗客が窓をあけるのだが、そよとも風が吹いていないのだから、ほとんど何の意味もない。ファンを極微弱でまわせば解決するのだが、車掌は新幹線の運転士並みに昼寝(朝寝かな)でもしているのか、これも何も手をうたない。

韓国の地下鉄事故で大勢の乗客がまぬけな地下鉄職員のおかげで亡くなったが、この状況をみていると、人事ではない。町田駅までは200m。非常コックを開けて堤防に降りようとする客はだれもいないのだ。居候も、まあ、その一人なのだが、一応、目では非常コックを探した。しかし、超満員の電車では、ドアの側の人間でなければどこにあるのかさえ分からない。韓国の地下鉄の乗客はこうやって、蒸し焼きにされて死んでいったのだなあ、と痛感した。欧米人なら、こんなにボケーと無為に時間を過ごしてはいないだろう。彼等は自律性があるから、さっさと非常コックを開けて堤防を歩いているにちがいない。こうしてみると、アジア人というのは、なんとも羊のように大人しい民族である。ジンギスカンの存在など神話じゃないかと思われてしまう。

25分後、ようやく町田へ着いた。もう、ここで降りた。で、ホームの下におりると、所在なげにつったっている間抜けな人間であふれていて、自動改札機にたどりつけない。ようやくたどりついても、中止のランプがついたままのものが多い。こんな緊急時に、駅員は自動改札機を開放もせずに何をしているのだろう。朝のラッシュ時の客なんて99.9%は定期にきまっている。緊急時であろうとも、1000人に1人くらいいるかもしれないキセル乗客から210円を徴収するほうが小田急には大切なことらしい。

ここで考え込んでしまうことは、最近の犯罪の、しかも残忍冷血な犯罪の、増加とは裏腹に、実に善良な老若男女の多いことだ。中止のランプのつく自動改札の前で何もせず、おろおろとしているだけで出て行かないのである。それで、フロアーが満員なのだ。「入」側はともかくとして、駅員が「出」側さえ開放しないのなら蹴破る以外に手はない。別にそれで壊れるわけではないのだから。平常時にそれをやる犯罪者は結構いるが、緊急時にそれをできないまことに善良な人間の多いことは喜ぶべきことかどうか。自分の判断力をもたず、自律性のかけらもないということは北朝鮮やイラクのような、あるいは、昭和初期の日本のような国になる素質があるということで恐いことなのである。割合は少ないが、悪の自律性を持つ連中、ヒットラやスターリンなどはその典型だが、日本陸軍には、そこまで大物はいないにしろ、多少は居た。関東軍の石原莞爾とか、もっと昔には甘粕なんてのもいたが、まあ、悪の心をもち、積極的に動く連中に、何の判断力もない羊たちが付いて行くと、そういう国になる。

大体、小田急は事故復旧にかかる時間がJRに比して圧倒的に早いと自慢しているではないか。JRは事故が起きると、警察の検証が終わるまで電車を復旧させないが、我が社は警察の許可を得て検証を後回しにするので、復旧が早い。わが社は鉄道会社として何よりも運行を確保することを最大の使命にしているというような意味のことが、小田急のコマーシャルの何かに書いてあった。まあ、書くだけなら何とでも書ける。問題はそれを実践する組織力があるかどうかである。しかし、この対応を見ていると、そんなものがあるとは到底思えない。情けないほどに危機管理が出来ていない。どこにも責任者がおらず、なるようになる。ケセラセラでのんびり動いているわけだ。こういうのを分散管理とか、ホロニック・マネージメントとかいうらしい。勿論、皮肉ですよ。




44.房総半島のお薦め所    目 次

今回は、南房総の安房を中心に開拓。選択基準は、単に行ったところ。独断。

今回は、南房総ということもあり、久里浜から金谷までのフェリーを使った。東京湾横断橋を渡るよりは高くつくが、横浜からなら速くて楽。35分で房総だ。車料金は、車長によるので正確に車種を申告しないと高くつくよ。これが、我々庶民の車なら4000円弱〜5000円。ドライバー1人分の料金込み。他の乗員は500円/人。往復にすると、2割引き程度(正確には覚えていないが、かなり安くなる)。横横道路(横浜−横須賀道路)で、横浜のどこで乗るかだが800円〜1000円。20分くらいしか横横道路の上にはいない。あっという間に着く。

フェリーの切符は、時刻指定無し。確か、予約も無し。駐車場に順に並んでいて、満員になったら次の便に回されるという、first-in first-out方式。時間帯にもよるが、普通の人間が使う常識的時間帯なら大体1時間に2本程度でているから、あまり気にはならない。ただ、初めての場合、どこに並ぶかが分かりにくいので、切符売り場で聴いたほうがいい。ボケーとそこいらへんに駐車していると置いていかれる。平日なら、ガラガラだ。連休や、海水浴季節は、この限りにあらず、と思う。

マザー牧場
ここは酷い。観光ずれも極まれリである。観光バスの寄り付き先になっているので、近畿日本ツーリストなどの4000円前後の格安日帰りバスツアーで行くべきところ。個人で行くと、やらずぶったくりに高い。駐車場だけで700円。さらに入場料1500円、さらに、。。。。 少なくとも、まっとうな文化人なら行く価値は0。マザー牧場というと、「マザー」から、優しさを連想するが、これは、鬼母だね。どうしても行きたい人は、マザー牧場と書いた看板が異なる2箇所に出ていることに注意。片方は、観覧車などのある遊園地。こんなものをこんな田舎の山奥に作るから、人が入らなくて借金に苦しくて、こんなあこぎな値段がついているんじゃないのと思いたくなる。いわゆる、マザー牧場は、そこから1分弱車で走ったところ。中で繋がっているのかも知れないが、とにかく距離はかなりある。共に、駐車だけで700円だから間違えないように。

しいたけ村
という名のしいたけのお店。鴨川の山間部にある。
しいたけや野菜が非常に良心的な値段。
房総で1番安いのでは?と言いたくなるくらい。
ここに案内がある



大雑把にいうと、長狭街道ながさかいどう=内房の保田(ほだ)−外房の鴨川を保田から410号に向けて進行。途中の 交差店から南下。地図では分かりにくい。看板が道のあちこちに出ている。

安房(あわぐん)三芳村(みよしむら) 道の駅 鄙(ひな)の里


裏のベランダから眺めた菜の花畑。

売っている物は少ないが、三芳村の村興し的な饅頭などがある。まあ、味も価格も標準的なところだろう。地場の野菜館、ミルク工房などが併設。カウンタ形式のコーヒーショップもあり、250円。紙カップだけどね。運転に疲れたらちょっと休憩にいい雰囲気のところだ。

ホームページ

安房館山城(城山公園)



南総里見八犬伝の博物館になっている。城山公園全体の景観も素晴らしいし、そこから見下ろす館山、東京湾の景色も素晴らしい。茶室や、日本庭園も付属している。



平山城なので、健常者は山の下の大駐車場に車を止めて、ちょっとした階段を上らなければならないが、ご老人や、体が不自由な人は、山の上の城下まで、車で行っても良いと言う配慮がされている。城下の駐車場は5,6台分しかない。そこから更に、民家の3階分くらいの坂か、階段を上る必要がある。 館山城入場料も市立なので150円とリーズナブル。

近くに県立安房博物館もあり、ここは無料。安房の人々の海の生活=漁労を舞台にした博物館で、捕鯨などの資料がある。捕鯨って、近海捕鯨ね。

館山ファミリーパーク;
フラワーライン上、南房パラダイスの500m北西。入場料500円。
隣には、花屋、お土産店などもある。



南房パラダイス
植物園、お土産店など



官幣大社安房神社
なかなか立派な神社。なにしろ、官幣大社(かんぺいたいしゃ)安房國一宮。しかも式内社だ。10世紀に編まれた延喜式に載っているということ。こんな所にといっては、なんだが、官幣大社があるんだ。まあ、伊勢神宮につぐ「第2の宗廟(そうびょう)」である宇佐神宮もおっそろしく鄙びたところにあるし、官幣大社はその他でも、結構鄙びたところにあるので、珍しいことではないが。。。隣には野鳥の博物館みたいな施設もあり、結構楽しめる。



南房パラダイスの南東2Km弱。410号の最南端近く。

酪農の里
安房郡丸山(長狭街道ながさかいどう=保田−鴨川と410号の交差店から南へ数Km東側)



ミルク製品のお土産が良い。他の土産店はどこに行っても同じものばかりだが、ここにはミルクを主体にした菓子;クッキー、キャラメル、チーズケーキ、サブレなどなどがあり、こういう他では手に入らない土産をしこたま買い込んでしまった。味は、要努力だが、本物っぽいミルクの香りや美味しさに免じて許そう。一杯100円のミルクも乳糖の甘さが冴え、脂肪の良い味がする。香りもたつ。以前、マザー牧場で飲んだ牛乳は、市販の乳製品のような味でがっかりした記憶がある。そういえば、岩手の小岩井で飲んだ牛乳も感心しなかった微かな記憶がある。なかなか、本物の美味しい牛乳には巡り会えない。
尚、建物はまだ新しい。

道の駅 富楽里(ふらり) とみやま
2003年4月にできたばかりらしい。結構、大きい。道の駅としても充実している。土産物と、土地の野菜の両方があるところが良い。 他にも、数Kmはなれたところに鋸南(きょなん)の道の駅もあり、前回行ったので、今回は寄らなかったが、こちらも結構楽しめる。

ホームページ



なお、 よく言われることだが、袖が浦ナンバーには、注意。運転マナーは酷い。大抵の道は40Km制限だが、50Km@メータで走っていてさえ、かならず後ろからせっつかれる。この手の猿の相手をしても仕方ないので、知らん顔してそのまま運転しているが、その内、道幅が広いところに来ると、30Kmオーバで追いぬいて行き、あっという間に視界から消え去る。南房総とは、南暴走のことだと心得て運転すべし。南房総の名誉の為に言っておくと、NTT-MEやら、関電工の車がこの鄙びた土地でもインターネットブームなのか走りまわっているが、これは素晴らしく教育が行き届いていて、安房といえども、40Km制限の道を40Km@メータで走っていた。人間は産まれついて人間であるわけではなく、教育が人間を造るのである。インドの狼少年の例はそれを如実にしめしている。




45.IT機器の使い方の難しさ;ITラプソディ    目 次

居候は、IT、つまり情報科学の一応、専門家ということになっている。にもかかわらず、最近のIT機器の操作の難しさには辟易している。84歳のおばあちゃんが、駅の自動券売機の前でうろうろしているようなことを時々している。これは、ITあるいは、技術一般に関係のない人々なら、自分が無知だから、分からないのだろうと思うのではないか?結果、ますます機械嫌いになるだろう。居候は、良くあちこちで講演するのだが、そんなときには、「皆さんが使えない機械があったとしたら、それは皆さんが悪いのではなく、作った技術者が、似非技術者であり、アホなのだと思ってかまいません。だから、遠慮無く、堂々と、どうしたら使えるのかとだれにでも聴いてください」と言っている。もちろん、何事にも例外はある。中学校程度の理科の力はあることが前提だし、キーボード配列を覚えようとする努力もしないで、キーボードは使えないというのは無しである。

つい、先日も、まるで分けがわからないセルフのガソリンスタンドに出くわして、おろおろしてしまった。ガソリンスタンドというのは、エッソとかジョモとかあるが、あれは別にエッソが直営しているのではなく、エッソのガソリンを扱っているだけで、どのエッソの店も同じ設備ということはないのだろうと、思う。日本中のヤマザキパンの店がヤマザキパン直営店でないのとおなじだろうと思う。 ので、エッソの店は、実に使いやすく、ジョモの店は信じられない程に使いにくい方式であるといういいかたはできないのだろう。たまたま、使いやすかった店がエッソで、使いにくかった店がジョモなのだということをお断りしておく。

エッソのさる店の方式は音声案内がある。ガソリンを入れるのか、軽油をいれるのか、入れる量を指定するのか、金額を指定するのか、などという常識的項目を順番に音声案内と大きな画面の文字案内に従って順に指定していく。金額を指定すると、お金を入れてくださいという案内が出て、お金を入れる口のところでLEDが点滅する。この点滅するということが極めて重要なのである。ボタンや口が一杯ある機械では、点滅しないと、次、どうしていいのかさっぱり分からなくなるからだ。動物というものは一般には、動く物に注意を向けるように造られている。蛙だったか、トカゲだったかは、動かないものは認識できないという。だからエサになる側の動物もWindowsのようにフリーズして動かない。根競べである。我人間々は、動かないものでも、そこに蛙がいることは一応、認識できるが、彼等はそうでないらしい。そこが動物の原点だろう。人間だって、動いてくれないと注意をそこに向けにくい。

というわけで、お金を入れると、ガソリンを入れる準備ができる。あとは、ガソリンの供給孔にノズルを入れて引き金をひけばいい。至って簡単である。セルフというのは、人件費を節約してガソリンを安く供給するという意味がある。

さるジョモのガソリンスタンドへ入って、例によって、ガソリン→金額指定などとやったとたん、ジジジとレシートが出てきた。機械は、そのまま静かになった。果て、次に何をするのか?まるで分からない。モニターには何か出ている。冒頭には「カードをお使いの方は、−−− レシートをもって、レジで精算してください」とある。さて、居候は現金払いを指定したそんなことは機械には分かっている。なのに、なぜ、カードだなどという、こんな間抜けなメッセージを出すのか。間抜けの代表格のWindowsだって、コンテクストメニューといって、現状に沿ったメニューをだすよ。だいたい、まだお金を入れていないのに、なぜレシートが出てくるのか?疑問だらけの機械の動作である。

金額を指定したのだから、次は、その金額のお金を入れる手順になるはずである。それが常識というものだ。この機械を設計した5流技術者は、そんな常識もないらしい。あるいは、この店のオーナがアホなのかもしれない。で、モニターになにやらグチャグチャと沢山でているメッセージを読む。どう読んでも、「カードでお支払いの方は。。。」だ。大体、モニターにグチャグチャと出力してはいけないのは、こういう人間相手の機械のイロハである。一回に一件だけ、簡潔に表示しなければ、人間は、目的に向かってまっしぐらなのだから、読みはしない。その冒頭が「カードでお支払い」なら、現金支払いの人は、普通は読まない。居候のように活字中毒で、一時も活字無しには済まない性格で、トイレでもトイレットペー パの包み紙の活字やら、壁の注意書を読んでいないとおさまらない人間でも、ガソリンを入れるときに、悠長にそんなモニターに一杯の活字など読んではいない。大体、後ろに、列が出来ているのである。そんなものをのんびりと読んでいるような非常識人間ではない。

というわけで、どこかにお金の投入口があるのだろうと、機械をためつすがめつ隅から隅まで眺めても、お金の投入口がないのである。その内、店員が飛んできた。回りを見ると、なんと、ざっと数えただけで店員は4人もいる。巨大スタンドではない。6台位の車しか入れない程度のまあ、どこにでもあるスタンドだ。4人もいるならセルフにする必要はない。彼の言うには、既にガソリンは入れられる。入れたら、そのレシートを持ってお支払いは店内のレジで済ませろ、ということだ。ヘッ?じゃ、なぜあなた達が入れないの?と思わず、聴いてしまった。

この方式では、完全セルフには出来ない。レジ掛が要る。まあ、それはいいだろう。一人くらいはどうせいるのだ。でなければ、中国人によるATMの破壊略奪や田舎の資産家への押しこみの強盗殺人などの犯罪が横行している現在では危なくてしかたない。NTTの公衆電話もイラン人のカード改竄のおかげで、使いにくいICカードにされてしまった。居候は民族主義者ではなく、コスモポリタンだが、海外の犯罪者はきちんとパスポートコントロールで排撃してもらいたいものだと思っている。島国日本では、こういうことに慣れていないので、海外からの犯罪者をブロックしろというと、すぐに民族主義と混同される。で、行政はおっかなびっくりなのだ。フランスのように、世界の反対もものかわ、太平洋の大気中で原爆実験をする国が、その口元を拭って、実はイラクに巨大な権益を持つゆえに、米英のイラク攻撃反対を平和主義者のような顔をして言い募り、いかなる戦争も反対のような態度をとる、あのフテブテシサを持てとはいわないが、理解くらいは、役人も政治家も何よりも国民が持ってもらいたいものだ。まあ、本来、政治は愛なのだがね。

今ままのじゃ、まるで、一旦侵入されたら何の備えもない城中に無制限に敵をいれているような物だ。やりたい放題である。日本の国内は海という砦に守られてきたから、一旦、中に入ったら何の砦もないのだから。日本にも、やくざや泥棒はいるが、それでも暗黙の日本人の約束で動いていた。ATMをブルドーザでヒックリ返すだの、雨戸も閉めない田舎の家に押しこみ強盗殺人をするというような凶悪な犯罪は怨恨などは別としてあまり聴かなかった。それが、犯罪の凶悪さも世界レベルになってしまっている。


話しがそれた。このセルフ方式では、ガソリンを入れた後、店内に入って支払いをしなければならない。普通のスタンドのようにガソリン供給口の半径1mの内だけで済ますことはできないのである。その上、やるつもりなら、そのまま食い逃げができる。食い逃げされないためには、店員が見張っている必要がある。で、4人もいるのだ。

一体これは、何のつもりなんだろう。完全自動では客が分からないから、部分手動=お金は自分でレジまで行く、という却って客を混乱させる教育にもならない教育のつもりではなかろう。これでは、部分的に機械化して順次完全機械化という手順を踏めない。まったくの方式変更になるからだ。店員は削減できないので、人件費も減らない。不思議な方式である。よほどのアホでも、こんな方式はなかなか考え付かないと思うのだが.


ついでの話しだが、JRのSuicaなどの券売機も噴飯ものの設計になっている。JR東日本発行のViewカードで、Suicaにチャージできるのだが、これが実に分かりにくい。なぜかというと、上に書いたようなLEDの点滅でカードの投入孔を示さず、機械は寡黙というか、黙り込んでしまうからだ。それで、次に何をしたらいいかわからなくなるのだ。

ocha.gifお茶ブレイク
Suica; スイカ

ICカード型の回数券だと思えばよい。ICカードだから、券売機で中のメモリーにチャージした金額を記憶できる。アンテナが入っていて、自動改札機が出す電磁場から電磁誘導により電気を起こして、内蔵のMPUを駆動し、電波で通信する。だから、パス入れに入れたまま、改札機の上にかざすだけで良い。定期券機能と込みになっているものもあり、乗り越しなどの精算が自動改札機とSuicaでしてしまえるので窓口に行く必要がない。もちろん、内部に残金があることは前提である。これは使ってみれば分かるが、感激ものの便利さである。Suicaの設計者は一流の技術者がしたのか、殆ど瑕疵がない。細部に至るまで綿密に考えられ、実に良く練れている。チャージ機も手を抜かず、是非そういう技術者に設計してもらいたいものだ。

この機械を作った3流技術者は、きっと、思考実験さえしていないのだろう。Suicaにチャージのボタンを押し、金額を指定する。ここまでは良い。で、そのまま機械は黙り込んでしまう。Viewカードをどこに投入していいのか、何時、投入していいのか、そもそも今、投入するタイミングなのか、何も分からない。この機械、やたらに似たような投入孔があって、すごく分かりにくいのである。

実は、Suicaにチャージするか、幾らチャージするのかという画面で選択した後、下の指示画面がViewカードを入れてくださいと変わっている。これが、一瞬で変わるものだから変わっていることに気がつかないというか、それまでの操作ではそんな所に視点が行っていない。それに、そんなものは読んでいない。そこに出ている指示などよまなくてもそこまでは出きるからだ。一つの画面内で、すべて何をするか選択していけば良いからだ。で、Viewカードを入れる段になると、急に操作をする場所がかわる。それがわからなくなるから、なんらかの注意をひく操作をしなくてはならない。たとえば、前の方を見て操作をしていて、次に後ろの方で操作をしなくてはならないとき、後ろのメッセージが何かを指示していても、そんなものに気がつくはずがないではないか。今は、前面を見ているのだから、次は後ろを向いて操作しなければならないなら、その指示は前面にださなければならない。それに似たことが起きているのである。視点が行っていないところに次の指示をだしても仕方がない。幸いにして操作盤は近いところにあるのだから点滅させさえすれば気がつくのである。どうしてそんなことに設計者は気がつかないのか不思議である。

居候の前にはおばあちゃんが例によって、並んでいて、この数少ない、Viewカードが使えるSuicaチャージ機を占領している。後ろには、これも例によって列が出来ている。盤面を一所懸命読んでいたおばあちゃんが振り向いて、Suicaはどうやってチャージすればいいんでしょうかと聴く。このおばあちゃんが持っていたSuicaは、Suica専用で定期券はついていない。で、この機械は、そのようなSuicaは使えなさそうであるのだ。盤面のどこをどう読んでも、そのカードを入れた後の操作をするボタンがないのである。多分、投入しても、定期券ではないと言われて戻ってきてしまうのだろう。で、この機械は定期券チャージ機だから、一般の切符のSuicaチャージ機に行きなさいと教えて差し上げた。

JR東日本の間抜けさは、自慢のSuicaを強調するあまり、「Suica」という大きな文字が機械に書いてあって、「定期券」を後回しにしていることである。自慢したい気持ちはわかるが、それよりも客の利便性を優先してもらいたいものだ。既に上でも書いたが、人間という生き物は、本能だけで動く一般生物と同じで最大効率で動くように出来ている。そうでなければ、飽食の現代日本と異なる原始の時代にはエサが手にはいらず、野垂れ死にしてしまっただろう。ライオンなどは10日も獲物が獲れずにいることもある。人間でも、今から、つり竿一つで食べていけと言われたら、一日中つり竿を垂れていても餓死するかもしれない。最大効率は危険を避ける事より生命にとって重要なのである。

何度、注意されても、「面倒」だといって手を抜いて事故を起こすのは、この最大効率追求の、DNAに刻み込まれた「さが」によるのだろうというのが居候説である。「手を抜いた」のではなく、危険も省みず最大効率を追求したのである。原始の時代ならその代償は自分の体だけですんだが、現代では、他人も巻き込む。そして、巻き込む命の方がはるかに多いのだ。理性/知性がなく、動物に近いほど効率追求になるのは、暴走族を見ていればよくわかる。で、最大効率を求めれば、「Suica」という文字を見たら、あとは読まない。そこにまっしぐらなのである。次に定期券を買う方法を求めることになる。そんな用意は機械にはしていないのだが、それは一目瞭然にはわからないほど複雑な盤面なので、途方にくれてしまうのだ。

JRは鉄道総研という立派な研究所をもっているが、こんなこともしらないらしい。まず、「定期券」を大文字で書いておくべきなのだ。Suicaを使おうとしている人間は、「Suica」が頭にこびりついているので、その後、この「定期券発券機」はSuicaが使えるだろうかと、見ることになる。「Suica」はまだ新しいから、これが意識の上では優先される。だから、後回しにしてもかまわない。。勿論、今度は、「Suicaの投入口がない。どうしたらいいんだ」と、困惑させないように盤面をつくる必要があることはいうまでもない。頭の上に書いてあるでしょ、というのは無しだよ、JRさん。もう一度列を掻き分けて、5m後に下がって全体を眺め回すなんてことは、傍若無人な駅員じゃない普通の人間はしないのだから。

後日談(2003.4.16)
新橋駅烏森口のSuicaカードチャージ機は、居候が言う通りに「定期券」が前面に出ていた。上記は、品川駅北口の話し。駅によって表示法が変わるとは!絶句。

ocha.gifお茶ブレイク
傍若無人な駅員

傍若無人じゃない、非常に小心な乗務員もいる。のぞみで検札に若い乗務員がきた。横にいた窓側の男は、チラっと自分の胸元で券を見せただけでしまいこんでしまった。これは明らかに怪しげである。乗務員は、見せてくれといったが、持っていることがわかりゃいいだろう、とすごんで見せない。やくざか、やくざまがいの人間である。持っているといったって、何を持っているかが問題で、使用済みの切符を持っていて何回も使いまわしにしているかもしれないではないか。こんな連中は、改札口もなんとでもしてとおってしまう。改札口で通れないだろう、と思うのは我々善良な市民の善良な考えにすぎない。乗務員は何も言わずに言ってしまったが、これは、毅然として見せてもらうべきであるし、だめなら鉄道警察隊をつれてくるべきなのだ。すごまれて検札を省略するのは、サービスではない。善良な乗客に対する差別行為である。入国審査も同じようなものだ。

それでかどうか、JRは車内検札を省略するサービスを始めると言い出している。





46.デジカメの買い方    目 次

画素数
最近のデジカメは、300万画素、400画素画素、光学ズーム、デジタルズームとわけのわからない状態になっている。まあ、画素数は多い方がきれいではある。普通のTVが走査線525本だから、これで縦横比を考慮すれば、大体、30万画素相当程度である。17インチのPC用ブラウン管モニタで一般的な解像度が、1024x768=約79万画素、20インチくらいになると、1600x1200=192万画素。だから、17インチ程度の家庭の標準のブラウン管モニタや液晶で見ているのなら、100万画素あれば十分。印刷したいとしても200万画素で十二分だと思うのだが、それでは高く売れないので、デジカメ業界の解像度向上は限りがない。

解像度という言葉が画素数と同じ意味で使われているが、変な修飾がされているものは要注意である。「出力解像度」は、信用してはいけない。下のデジタルズーム同様、「画像処理」が施されているので、期待するものではない。例えば、「ハニカムCCD」を使ったものは「出力解像度」表現もされている。メーカはまさかこれでインチキはしないが、小売店の売り子というかおっさんなどは、この意味がわかっていないので、150万画素程度のカメラに堂々と300万画素というチラシをカメラの前に掛けて売っていた。これは、画素数150万画素で、出力解像度が300万画素というのが正しい。

150万画素の撮像素子で撮影して、画像処理ソフトで300万画素に補間して出力しているのだ。で、「出力解像度」なのだ。ハネカムから元の英語を想像できる人はそんなにいないだろう。ワイシャツも元がホワイトシャーツ、メリケンがアメリカンと同じ位の変容をしている。Honey Combで蜜蜂の巣のこと。ハニー・コームなら分かるかな。

CCDのような撮像素子は常識的には一つ一つの微細素子を碁盤の目のように並べてある。ハネカム構造と言うのは、碁盤ではなく蜂の巣を正面から見たように並べてあるのだ。日本的に言えば、亀甲紋だね。亀の甲羅の文様。互い違いに入り組んでいるから、150万画素でも、間を両隣というか、廻りの情報を使って推測して埋めると倍の300百万画素の出力ができる。できるが、半分のデータは、真のデータではない。例えば、色や線は急には変わらないという規則を適用して推測しているに過ぎない。

だから、実際には急に変わったりしたら、嘘の情報で埋められることになる。ちょっと分かり易く言えば、顔のある点の廻りがみんな肌色だから、その間の見えていない部分も肌色だろうと推測して、肌色で埋めるようなものだ。実際にはそこにはホクロがあるかもしれない。この現象が微細なレベルでおきるのだ。まあ、ほとんどの場合は、あまりまちがわないが、あくまで推測の情報であって真の情報ではない。このことから典型的に斜め線の描写に弱い。

しかし、ハネカムが分かる一般人はほとんどいないはずだ。亀甲紋あるいは亀甲形といえば、だれでもわかるだろう。なんでそういう言葉を使わないんだろうか。最初から、だまそうとする意図が透けて見えているというのは考えすぎかい?それとも舶来指向?ちなみに「ハネカム」で大辞林を検索してもみつからない。参考に、亀甲。ハネカムCCDなどという、理解されないことを期待したような胡散臭い表現より、亀甲形CCDのほうが渋いがなあ。。。

光学ズーム
光学ズームというのはレンズで望遠や広角効果をだす昔からのやり方だ。一眼レフなどでは、望遠レンズ、広角レンズを何本ももって、とっかえひっかえしていたものだ。あるいは、それらをの機能を1本に収めたズームレンズというものがあって手軽だが専用の望遠や広角レンズに比べてどうしても画質が落ちるといわれたものだ。もっとも、それはプロの話しだ。普通のデジカメ程度には関係のない話しだ。光学ズームには、だから、レンズが迫り出したり、引っ込んだりする機構が付いている。ズームが欲しければ、必ず、この光学ズームのものを買う。デジタルズームというのはインチキだから、本当の意味でのズームにはならないよ。

デジタルズーム
一方、デジタルズームというものは、レンズは動かない。例えば、こういうことだ。解像度が200万画素のカメラというのは、CCDというフィルムに当たるものの上に碁盤の目が200万個あると思えばいい。で、200万画素のように大解像度の場合、記録メディアを大量に(200万画素の場合、BMPで、1枚6MB。jpgにすれば1/10くらいになる)使うので、100万画素、あるいは30万画素で撮る設定ができる。200画素の画面に映っている画像を100万画素で記録するというのは、間引きしているということである。つまり画質は落ちている。碁盤の目を1つ置きに間引けば、縦横半分ずつだから、全体で1/4になる。これは50万画素になる。100万画素で記録する場合、縦横√1/2になるね。

画像の映る範囲を変えない場合は上のように、全体から少しずつ間引く。この間引き方を一律にしないで、周辺だけ間引けば、中央がそのまま残る。それを200万画素相当に引き伸ばせば、中央が大きくなるのである。つまりズーム効果となる。光学ズームと違って、補間しているから画質は落ちる。もっともどうせ100万画素で撮った時点で、上記のように画質は落ちているのだから、デジタルズームにしたから落ちるというのは無意味である。落ちるのが嫌なら、200万画素フルで撮ることになるが、この場合、デジタルズームはできない。200万画素の能力があるCCDで、100万画素で記録する場合、√2倍=1.4倍ズームとなる。縦1.4倍、横1.4倍ということだ。100万x1.4x1.4=200万。200万画素の能力があるCCDで30万画素で記録すれば、

 √200/30=約2.5倍ズームとなる。

だから、デジタルズームというものは、あまり意味はないし、それをする位なら、最初からもう1レベル下の解像度、上の場合なら100万画素のカメラを買っておいた方が、格落ち品になるから極端に安くて済む。今では、200万画素が既に格落ちになっている。また、200万画素カメラで100万画素使用では、たった1.4倍にしかならない。2.5倍にしたければ30万画素での使用になるが、これでは余りに画質が悪すぎる。この意味でデジタルズームは意味がない。ああ、200万画素でとって、画像処理ソフトで周辺を削除するのと、100万画素の1.4倍ズームで撮るのはほぼ同じことだ。このズームは、だからほとんど意味がない。同じ記録媒体で多少枚数が多く撮れる程度が長所かな。

電池
それから、見落としがちなのが、電池と消費電力である。同じ画素数のカメラなのに、あるメーカのカメラでは、単三2本のアルカリ電池でフル画素で200枚撮れるかと思えば、別のメーカのカメラでは、4本も使って100枚しかとれないなどの例がある。この消費電力の表現も枚数ではなく(枚数でも言うが)、120分などという変な書き方になっているので分かりにくい。液晶画面とストロボを使うからである。これらを使えば急速に電池を消耗する。さらに、30万画素記録か、300万画素記録かでも電池消耗が違う。メモリーに書きこむのに電力が必要だからだ。電池消耗は木目の細かな省電力回路とプログラムが必要でメーカの実力がよく現れる。4本も電池を使うカメラは止めたほうがいい。一日で、ジャラジャラとポケットが空電池だらけになる。

但し、光学ズームのカメラは鏡胴がモータで出入りするから電池を食うので、単3二本というものは少ないのではないかな。こればかりは4本でも仕方ない。ニッケル水素電池の充電式がリチウムイオンなどに比べると比較的安くて(4本で1000円内外)気軽に手にはいるからお薦めである。重いけどね。

最近の小型、薄型カメラは充電式内蔵リチウムイオン電池が多い。リチウムイオン電池は、持ちが圧倒的に良い。しかし、これは、自分が1日に何枚とるかを良く考えておかないと、困ることも起る。何しろ、途中で電池が無くなったら撮れなくなるからね。交換というわけにはいかない。

記録媒体
これも考えた方がいい。コンパクトフラッシュ、スマートメディア、メモリースティック、SD、xDなど分けがわからん。大体、この順で安い。xDなどは最悪である。ただでさえ高い上に、殆ど流通していないものだから、中古市場もない。スマメなら64MBが2000円以下の市場になっているのに、xDでは4000円〜5000円のものしかない。なんでこんな物を作るんだろうね。音楽じゃないんだから、著作権保護機能などいらんでしょ。おまけに同一メーカの同一シリーズなのに、途中で媒体を変えるものだから前のものが無駄になってしまったりする。こういうメーカはユーザのことなど考えていないのだ。中身はみな同じフラッシュメモリだ。外観と多少の構造、どうでもいい機能が違うだけね。

カードリーダ
撮った写真はPCに移さなければならない。PCカードコンバータやUSBでのカードリーダを使う。 xDなどでは、当然、これらも目を剥く高さである。後者は見つからなかったが、前者は8500円もする。スマメ用USBカードリーダなら2000円を切るし、コンパクトフラッシュ用のPCカードコンバータなら600円か700円程度だ。xDなどでは、メモリーとリーダの両方買うと、カメラより高くなってしまうものがある。

非バスパワードUSB
で、仕方ないからカメラとPCをUSBでつないで写真を転送しようとしたら、なんとカメラのUSBの電力がUSBバスから供給されていない。カメラは100Vから電源を取らなければならない。こんなアホなことはまともな電気屋ならしない。フィルム屋に就職した3流電気屋さんが設計したに違いない。電池では、きっとあっという間になくなる。データ転送はすごく電力を消耗する。マニュアルにはだから、電池は使うなと書いてある。この電圧コンバータがまた4千何百円もするという前門の虎、後門の狼状態だ。勿論、居候は300円で入手するがね。この業界、悪徳商法に近い。






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